「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 102/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012OB寄稿昭憲皇太后基金創設の経緯(1)佐藤雅紀昭憲皇太后基金は、1912年(明治45年)にワシントンで開催された第9回赤十字国際会議(当時は万国赤十字総会)に際し、....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012OB寄稿昭憲皇太后基金創設の経緯(1)佐藤雅紀昭憲皇太后基金は、1912年(明治45年)にワシントンで開催された第9回赤十字国際会議(当時は万国赤十字総会)に際し、皇后陛下が日本赤十字社を通じて平時救護事業ご奨励のために金10万円を国際赤十字(当時は万国赤十字連合)に下賜された。2012年(平成24年)は、昭憲皇太后基金創設100周年(皇后陛下が国際赤十字に下賜されて100年)に当たるので、基金創設に至る経緯を時系列に紹介する。日本赤十字社社長から宮内大臣へ請願昭憲皇太后基金は、日本赤十字社社長侯爵松方正義から宮内大臣伯爵渡邊千秋あてに「皇室より赤十字国際連合へ下賜金の件」の趣意書を提出して請願し実現した1)。明治天皇紀にも「正義(松方正義)の内請に本づくものにして」と日本赤十字社社長の請願に基づいて下賜されたことが明記されている2)。趣意書には、各国赤十字社が平時救護事業に取り組みその伸展が図られていること、ドイツ国及びロシア国の皇室からの寄附が基金として国際赤十字に貢献していることが挙げられている。趣意書を提出した日は不詳であるが、1911年(明治44年)8月、日本赤十字社社長侯爵松方正義は皇后宮大夫伯爵香川敬三に面接して趣旨を説明した。「近年、各国赤十字社は漸次平時救護事業に向かって其の施設を拡張するの状況を呈し、啻に個々の国情に依りて然るのみならず、遂に明治40年第8回赤十字国際会議は各国相倶に結核の予防撲滅に手を下すべきことを決議するに至りし如き、亦以て時運の趨勢を察するに足れり。我皇室若し此の時運に際し、赤十字連合に対して平時救護事業御奨励の思召を以て賜金の恩命を垂れさせ給わんには、御国光の顕揚幾何なるを測るべからず。殊に、平時救護事業に最も熱心を有する米国赤十字の主催に依り最近に開設せんとする第9回赤十字国際会議を機として之を発表せしめ給わば、其の時宜の適切なる之に如くものなかるべし。」と3)。皇后宮大夫伯爵香川敬三は大いに賛意を表され、次いで、宮内、陸軍、海軍、外務各大臣に説明して同感を得たことから、更に検討を重ねて宮内大臣伯爵渡邊千秋あてに趣意書を提出した。趣意書には「茲に赤十字連合は、本年5月米国に於て第9回赤十字国際会議を開設せんとす。」4)とある。また、第9回赤十字国際会議に参列する日本赤十字社委員出発の時期が切迫してきたので1912年(明治45年)2月、日本赤十字社副社長男爵小澤武雄は社長侯爵松方正義の旨趣を承けて宮内大臣を訪ね、「本社は両陛下の特別なる恩眷の余沢に依り社基確立の好運に向いたれば、謹で向後御補助金を拝辞せんとするの意図を有すること。」「赤十字連合に対する賜金の件は米国派遣委員の出発前に於て予め国際会議に提出すべき手続を審議し遺算なきを期し度に付き、成るべく速に決定せられんこと。」を相談し宮内大臣はこれを了承し促進の決意を示された5)。このことから、趣意書の提出は1912年(明治45年)1月と推察される。(1)日本赤十字社で数々の役職を歴任、社史稿編纂等を勤めた。※原文の旧仮名づかいは平仮名に、旧漢字は常用漢字に改め、適宜、句読点を挿入した。100人道研究ジャーナルVol. 1, 2012