「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 103/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012平時救護事業基金御下賜に至る要因1)平時救護事業の伸展1888年(明治21年)7月15日に福島県磐梯山の噴火災害に際し、皇后陛下がこの惨状を聞し召され、19日に吉井宮内....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012平時救護事業基金御下賜に至る要因1)平時救護事業の伸展1888年(明治21年)7月15日に福島県磐梯山の噴火災害に際し、皇后陛下がこの惨状を聞し召され、19日に吉井宮内次官を通じて日本赤十字社に医員派遣の内旨を下された。日本赤十字社は20日に急きょ救護員を現地に派遣して救護活動に従事した。これが日本赤十字社における平時救護事業の嚆矢である6)。1891年(明治24年)10月28日、愛知県、岐阜県を中心とした濃尾地震に際し、29日、愛知県知事から電報で日本赤十字社に救護員派遣の要請があった。初代社長佐野常民は直ちに参内してその概況を皇后陛下に内奏し、皇后陛下は速やかに医員看護婦を派遣して厚く救護をつくすよう内旨された7)。こうして日本赤十字社の平時救護活動が行われるようになり、1892年(明治25年)に日本赤十字社社則を改正して臨時天災救護を施行する規定を加え、1900年(明治33年)7月に日本赤十字社天災救護規則が制定された8)。一方、1892年(明治25年)にイタリア国ローマにおいて開催された第5回赤十字国際会議には、日本赤十字社委員としてアレキサンダー・シーボルトと後藤新平を派遣したが、この会議でロシア国の提議により赤十字思想普及方法として平時の大不幸に際しても赤十字社は救護活動を行うことが決議された9)。この会議においてシーボルトは、磐梯山及び愛知、岐阜両県地方震災における日本赤十字社の活動を紹介した。宮中ご陪食の際、皇后陛下は日本の皇后陛下が日本赤十字社に保護を賜い本社事業が進歩していることを賞賛した10)。1897年(明治30年)にオーストリア国ウイーンで開催された第6回赤十字国際会議121902年(明治35年)にロシア国で開催された第7回赤十字国際会議)は、更に平時における赤十字事業に言及し、第7回会議は、平時の救護事業は戦時における準備作業の一種と認めることを決議した13)。また、1907年(明治40年)にイギリス国ロンドンで開催された第8回赤十字国際会議には、日本赤十字社委員として副社長男爵小澤武雄、常議員博士有賀長雄を派遣し、日露戦争における日本赤十字社の救護事業及び既往5年間における日本赤十字社の天災救護事業などを報告した14)。この会議において赤十字国際委員会(当時万国赤十字中央委員)の提議により「肺結核撲滅に関する赤十字の事業」が決議された15)。第8回会議に出席するため、小澤武雄は日本出発に先立ち皇后陛下に暇乞いに参内した際、「英国皇后陛下に拝謁の際は、我が皇后陛下の御伝言として、英国皇后陛下は多年慈善事業に御尽力遊ばされ、殊に赤十字事業の保護者として熱心御尽力あらせらるる旨伝承し敬服の至りに堪えず。自分に於いても赤十字其の他の慈善事業に微力を致し居ること故、一層同情の至りに存ずる。」旨を上奏願いたいとの令旨を賜わった16)。1907年(明治40年)6月15日、バッキンガム王宮において各国委員の拝謁が終わると、皇后陛下は小澤武雄委員に「日本の皇后陛下から御伝言の趣は承知した。其の御伝言の為に自分には大いに感動を与えた次第であるから、此の御伝言に対し日本の皇后陛下に誠実なる感謝の意を致すと云うことを帰朝の上親しく奏上し呉れ。」との令旨を賜った17 )。小澤武雄は帰朝後、9月27日に沼津の御用邸において皇后陛下に謁見して御答詞を奏上した18 )。小澤武雄は、「帰朝の上で英国皇后陛下の御返事を申し上げ(中略)、其節、尚お、御垂問を蒙むりましたには、欧羅巴(ヨーロッパ)の国々では皇室では重に何う云う工合にして斯う云う事業に保護を与えて居るかと云う御尋ねでございますから、私は謹んで御答え申上げました。欧州各国何れに於きましても、皆皇室の御保護を受けて居りまするが、其中でも独逸のアウグスタ皇后、11)及び人道研究ジャーナルVol. 1, 2012101