「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 105/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 20121912年(明治45年)2月、日本赤十字社副社長男爵小澤武雄は社長侯爵松方正義の旨趣を承けて宮内大臣を訪ね「本社は両陛下の特別なる恩眷の余沢に依り社基確立の好運に....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 20121912年(明治45年)2月、日本赤十字社副社長男爵小澤武雄は社長侯爵松方正義の旨趣を承けて宮内大臣を訪ね「本社は両陛下の特別なる恩眷の余沢に依り社基確立の好運に向いたれば、謹で向後御補助金を拝辞せんとするの意図を有すること。」を申し出た30)。更に、趣意書とは別に、1912年(明治45年)3月15日、日本赤十字社社長侯爵松方正義から陸軍大臣男爵齋藤實、海軍大臣男爵上原勇作あてに「御補助金拝辞に付上奏の件」として「(前略)右壱万円の御下賜金は自今謹で拝辞奉り度、此の段、宜しく御上奏相成り度候也」と皇室からの本社補助金を辞退する上奏方を請願した31)。これに対して、4月22日、陸軍大臣男爵齋藤實、海軍大臣男爵上原勇作から日本赤十字社社長侯爵松方正義に「其の社へ御補助として聖上皇后両陛下より年々金壱万円下賜の処、自今拝辞致し度旨、秘第二零号申出の趣、遂に奏聞候処、聞食(きこしめし)届けられ候条、此の段相達す。」との通達を受けた32)。これと前後して、4月20日、皇后陛下が平時救護事業奨励基金として金10万円を下賜する旨の通達を得た33)。日本赤十字社は、自ら本社補助金を辞退したことから「明治45年本年度より本社御補助金を拝辞するや之に代うるに更に一層大なるものとせられ、則皇后陛下の御名を以て全世界に共通する平時救護事業奨励基金として拾万円下賜あらせられたり。」34)と、本社補助金を拝辞した代わりに平時救護事業奨励基金が下賜されたと受け取れる表現も見られる。日本赤十字社と宮内省との35交渉関係)を見ると、拝辞した代わりにという因果関係を確認することはできないが、本社補助金の拝辞は平時救護事業奨励基金ご下賜の決定に好影響を与えたことは想像できる。昭憲皇太后基金の制定1912年(明治45年)4月20日、宮内大臣から日本赤十字社社長あてに皇后陛下が国際赤十字に平時救護事業奨励基金として金10万円を下賜する旨の通達があった33)。一金拾万円也右万国赤十字連合平時救護事業奨励基金として皇后陛下思召を以て下賜候旨御沙汰候条、第9回万国赤十字総会を期として寄贈方可被取計(取計らわれるべく)候。此の段、通達に及び候也。明治45年4月20日宮内大臣伯爵渡邊千秋日本赤十字社社長侯爵松方正義殿しかし、第9回赤十字国際会議に出席する日本赤十字社派遣委員5名は、3月26日に横浜から船でアメリカに向けて出発した後であった。出発に先立ち、日本赤十字社派遣委員副社長男爵小澤武雄、日本赤十字社篤志看護婦人会幹事長崎多惠子、同幹事小笠原貞子は、3月7日、沼津の御用邸に滞在中の皇后陛下に拝謁してお暇乞を申し上げた36)。アメリカ赤十字社の理事で1906年(明治39年)に来日したことがあるミス・ボードマンは、日本赤十字社から多数の代表委員を派遣願いたい、個人的には代表委員の中に小澤男爵(副社長)及び鍋島侯爵夫人(日本赤十字社篤志看護婦人会会長鍋島榮子)が含まれることを希望すると書翰を送ってきていた。赤十字国際会議に派遣する各国赤十字社の女性代表委員は会を重ねる毎に増加したが、日本赤十字社は初めて女性2人道研究ジャーナルVol. 1, 2012103