「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 106/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012名を派遣した。一行は、ハワイを経由して4月11日にサンフランシスコに到着、26日にニューヨーク、5月3日にワシントンに到着した37)。5月4日、小澤武雄は、社長松方正義....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012名を派遣した。一行は、ハワイを経由して4月11日にサンフランシスコに到着、26日にニューヨーク、5月3日にワシントンに到着した37)。5月4日、小澤武雄は、社長松方正義から「皇后陛下より万国赤十字連合平時救護事業奨励金として十万円を下賜あり。本総会を機として寄贈方取り計うべき旨御沙汰あらせらる。提議方取計を乞う。」との皇后陛下御下賜金に関する電報を拝受した。小澤武雄は歓喜して開会前日の5月6日に議長に平時救護事業奨励基金の提議方を通告した。小澤武雄は副議長の一人に選任されている38)。5月7日午後2時に開会。書記長エミル・シャリエール(フランス)は開会式で「日本国皇后陛下は、平時に於ける赤十字救護事業奨励基金として、金拾万円を万国赤十字連合に下賜あらせらるる旨、日本赤十字社委員より通知がありました。」と紹介すると39)、大喝采をもって迎えられた40)。平時救護事業奨励基金に関する日本赤十字社の提議は5月8日に説明し9日午前の会議において協議され決議された。アメリカのミス・ボードマンは日本皇后陛下御下賜金に対し奉謝文決議案を提出し、アドール議長は「一、此の基金には日本国皇后陛下なる名を冠せしむること。二、1917年までは日本に於いて此の基金の保管を為すこと。三、日本は、次の総会に於て此の基金に関する規程を発案すること。」を提議し満場の同意を得た41)。日本赤十字社は、1912年(大正元年)9月25日から1919年(大正9年)9月24日まで基金を保管し運用した42)。1914年(大正3年)4月11日、皇后(当時、皇太后)陛下が崩御され昭憲皇太后と追号されたことから、8月12日、日本赤十字社社長花房義質は赤十字国際委員会会長ギュスターヴ・アドールあてに「赤十字平時救護事業の奨励を目的とする昭憲皇太后基金に関する定款案」を示し、第一条に「昭憲皇太后基金」と称し、我が国では諡(おくりな)が使用されることを説明した。1919年(大正8年)12月10日、赤十字国際委員会は各国赤十字社に定款案として、昭憲皇太后基金と称すること、元金は使用しないこと、利息を下附金として使用すること、下附金を受けようとする赤十字社は配付する前年の4月11日までに申請すること等を示して意見を徴し、1920年(大正9年)7月26日書翰をもって赤十字国際委員会から日本赤十字社に基金定款に関して各国赤十字社の同意を得たとの通達を得た。ここに、次回の赤十字国際会議を待たずに定款が確定した43)。昭憲皇太后基金引渡しと第1回配分日本赤十字社は定款の確定を見たので、1920年(大正9年)9月29日付をもって日本赤十字社が保管していた御下賜金10万円及び1912年(大正元年)9月25日(基金設定の日=基金運用開44始の日))から1920年(大正9年)9月24日までの8年間の運用利息5万9710円68銭、元利合計15万9710円68銭(スイスフランにして40万7262フラン23チーム45))を赤十字国際委員会あてに送金し、赤十字国際委員会は11月10日に本社の送金を受領した旨及び深厚な謝意を表した46)。1921年(大正10年)3月にジュネーブで開催された第10回赤十字国際会議は、昭憲皇太后基金に関する報告が行われ、議長である赤十字国際委員会会長ギュスターヴ・アドールは皇太后の崩御に深厚なる弔意を表し、日本赤十字社に謝辞を述べた47)。第1回配分は、1921年(大正10年)4月11日までに赤十字国際委員会に申請することとし48)、特に第1回配分については同年に行うこととして49)11月4日の赤十字国際委員会会議で配分を決定した50)。配分額の合計は、日本赤十字社から送金された昭憲皇太后基金元利合計のうち利息5万104人道研究ジャーナルVol. 1, 2012