「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 110/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012りフマニタスの概念は、多様な民族、種族、宗教、血統という個々の属性を超越した一体的な人間を想起させるコスモポリタンの概念と極めて親和的であるといえる。しかし....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012りフマニタスの概念は、多様な民族、種族、宗教、血統という個々の属性を超越した一体的な人間を想起させるコスモポリタンの概念と極めて親和的であるといえる。しかし、一方で古代ローマの著述家アウルス・ゲリウス(Aulus Gellius, AD.123~165?:正確な生年は不詳)は、ラテン語のフマニタスは、教養やリベラルアーツの教練を意味するギリシャ語のパイデイアそのものであり、すべての人間に対する友愛精神や善意の感情を意味するギリシャ語のフィランソロピアとは同義ではないとしている9。2.イタリア・ルネサンスで再び脚光フマニタスの語が西欧社会で再び脚光を浴びるようになったのは、13~14世紀のイタリア・ルネサンス期である。ギリシャ・ローマの古典、特にキケロに傾倒する古典文学愛好家をフマニスト(humanist、humanista)と呼んだことからこの言葉が注目され、それは古い教会権威を基盤とする封建的価値観から自由な人間性を回復するルネサンス運動のキーワードとなった。特に14世紀後半からフマニタス研究(studia humanitatis)が古典研究に関心あるイタリア人の間でブームになったことから、この言葉が広く使用されるようになった10。これらの古典文学愛好運動を人文主義(フマニスム:humanisum)と呼んだことが後のヒューマニズム(humanism)の語の起源となった。なお、P・O・クリステラーによれば、ヒューマニズム(humanismus)の語は、ドイツの教育家F. I.ニートハンマー(Friedrich Immanuel Niethammer : 1766-1848)が1808年に「中等教育において実用的で科学的な訓練への要求がますます高まってきたことに反対して、ギリシャ語やラテン語の古典文学を強調するために使った表現」が最初だとされる11。3.人道思想の揺籃地としての啓蒙時代当初、人文主義を意味して用いられたフマニスム(ヒューマニズム)が近代的な人間愛や博愛を含意する言葉として用いられるようになったのは、17、18世紀の啓蒙思想の時代である。例えばマックロイは、「ユマニテ(humanite)の語は、18世紀後半の1770年代から1790年代までに最も頻繁に使用されたフランス語である」とし、「この語の文化は、『法の精神』及び『ペルシャ人の手紙』の刊行以来、人間の条件の改善を目的とする思想全般を象徴する言語となった」と指摘している12。モンテスキューは、『法の精神』の中で奴隷制を自然法と市民法に反するとして批判し、奴隷解放のために諸国の君主たちに奴隷への同情を訴え、人道のために協定すべきだと主張した。こうした人道的感性は、苦しむ他者への同情や共感に人間性の本質を見るジャン・ジャック・ルソーやアダム・スミスなど啓蒙思想家の多くに共通する。理性より感情に人間の本質を見るこれらの思想家は、人道的行為を触発する感情はあらゆる人間に普遍的に見出せると考えた。それは啓蒙思想の基軸的価値である自由、平等、友愛の思想から自然に帰結する感情であり、フマニタスの語は啓蒙思想家の著作に頻繁に見られた。なお、マックロイによれば、博愛的な人道主義を意味するヒューマニタリズムのフランス語humanitarismeは1830年代に初めて出現した造語だという13。108人道研究ジャーナルVol. 1, 2012