「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 112/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012の普遍的義務であると説く。4.ショーペンハウアーの共苦しかし、カントは他者への共感や同情は、感情ではなく理性に従うべきだと考えた。これに対し、アルトゥル・シ....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012の普遍的義務であると説く。4.ショーペンハウアーの共苦しかし、カントは他者への共感や同情は、感情ではなく理性に従うべきだと考えた。これに対し、アルトゥル・ショーペンハウアーは大切なのは理性ではなく感情であり、「愛は同情(共苦:mitleiden)である」20としてカントを批判し、善行や博愛行為は他者の苦悩を認識し、その苦悩を自分の苦悩と同一視することから生じると考えた。同情によらない愛は自己愛にすぎないとショーペンハウアーは考える。5.同情としての人道的感性1)シェーラーの共同感情同情の本質について考察したマックス・シェーラーは、同情(sympathie)を共同感情と表現し愛よりも人間に根源的な態度様式とみなし、愛は共感する態度の特殊形態であると考えた。シェーラーに従えば、人道は共同感情を基礎にし、同族と異民族、善人と悪人、人種的優劣、教養ある者と無教養者・・・等々の差別をつけずに「すべての人間が動物と神から区別された特殊な意味での人間であるという理由によってのみ、すべての人間を包括する」21ものといえる。シェーラーの同情の本質論は示唆に富んだ指摘であり、現代の人道主義の無差別性、普遍性、人間中心主義の特質を見透かしている。現代でも人道支援の基本理念を「憐れみの情」や「同情心」に求める見解は少なくない。例えば、人道支援は、共感共苦の感情を基礎にすると考えるMSFのロニー・ブローマンは、「歴史ともろもろの文化を貫通するのは、共感共苦する姿勢の実在性であり、…普遍的道徳よりも、私は、ルッソーによって定式化されたこの共感共苦という概念の方を選びたい」22と記している。2)ヒュームの同情への訴え人道的感性を同情、共感の感情に基礎付ける論理は、デビッド・ヒュームが倫理や道徳は理性の仕事ではなく「情念の仕事」であるとし「同情への訴え」を主張したことの延長線上にある。ヒュームは、「すべての国とすべての年代において人間の行為には大きな斉一性が存在し、人間本性はその原理と作用において依然として同じであるということが、普遍的に公認されている。」2 3と説く。この見解は、現代においても人道的感性を人間の生物学的な特性と結びつける思想に継承されている。例えば、エーリッヒ・フロムは、人道主義的倫理は人間の本性に由来すると考えたし24、現代において人道主義的秩序を喧伝する論客の多くも、こうした感性を人間の本性のうちに見る傾向がある。もっとも、こうした本性が遺伝子的に人間に組み込まれたものなのか否かについては現代では議論があるだろう。西欧思想の系譜としての人道主義の用語と概念を要約すれば、人間愛、博愛としてのヒューマニタリアニズムの語は、フマニタスに起源を持つフマニスム(人文主義)の語から派生し、人間愛に基づく慈善活動が隆盛した19世紀に広く西欧社会で使用されるようになった。その意味は、元来の「人間らしさ」から、18世紀の啓蒙思想の影響下で友愛や人間愛の思想を受け継ぎながら、110人道研究ジャーナルVol. 1, 2012