「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 113/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 201219世紀以降、ヒューマニタリアニズムという新語が登場したのを機に今日的な博愛としての概念が定着していったと考えられる。ともあれ、西欧的なヒューマニタリアニズム....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 201219世紀以降、ヒューマニタリアニズムという新語が登場したのを機に今日的な博愛としての概念が定着していったと考えられる。ともあれ、西欧的なヒューマニタリアニズムとしての人道主義は、その出自に見られるように人間中心主義(ヒューマニズム)25の一形態であることに変わりはなく、その本質が孕んでいる西欧文化の限界についても別途検討する必要があるだろう。Ⅲ.東洋思想における人道思想の系譜1.東洋思想における人道の概念西欧語のヒューマニティという用語はともかく、その語が意味する概念は決して西欧思想のみに固有なものではなく古来、東洋思想のみならず、世界の多くの民族の中に普遍的に見出だすことができる。今日、赤十字基本原則の中のヒューマニティの語は、日本語、中国語共に「人道」の語を充てているが、これは西欧語のヒューマニティの漢字訳として造語されたものではなく、漢字文化圏に古くから存在した「人道」の語が、たまたまヒューマニティとほぼ同義であることから広く使われてきたと考えるべきだろう。しかし、東洋における「人道」の語の概念は必ずしも西欧的なヒューマニティの意味に限定されていない。2.漢字文化圏の人道例えば、日本国語大辞典(小学館、1993年、15版)や同精選版(同、2006年初版)によれば、人道の語は、「人として行なうべき道。人として守るべき道」の意で既に室町時代から史記抄(文明9年、1477年)や大乗院寺社雑事(文明19年、1487年)に見られる。その概念は博愛を意味するだけではなく詩経箋に見られるような「男女の交接」を意味したりした。また同辞典は、易経「繋辞伝(下)」の一節を引用し、天道との対比で既に人道の語が人倫などの意味で使用されていたとする。易経、繋辞伝の成立年代は不詳だが、玉置重俊によれば、易経が儒教の経典「六経」の一つと位置づけられたのが前漢の武帝時代(在位B.C.141~87)の頃としていることから26、人道の語は漢字文化圏において既に紀元前1~2世紀から存在していたことになる。これは、キケロ(B.C.106-43)が『弁論家論(De Oratore)』(B.C.55年作)の中で初めて「フマニタス」の語を使用したのよりも早いことになる。しかし、漢字の人道は、西欧的な人間愛としてのヒューマニティとは必ずしも同じではなく、例えば、後述する仏教思想における人道が全くヒューマニティの意味を持たないことなどからも分かる。むしろ現代的な人道概念に近い東洋思想は、儒教思想にみられる仁愛の概念の方が適当と思われる。3.孟子、墨子の思想例えば、孟子の「公孫丑」の一節にある「惻隠の情」は、ルソーの「憐れみの情」と対比できるだろう。孟子は、「人にはみな、人に忍びざるの心あり」、「惻隠の心は仁の端なり」(第二29章)とし、人道研究ジャーナルVol. 1, 2012111