「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 115/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 20125.わが国における人道わが国の文献では、人道の語は室町時代の史記抄での記述が辞書に引用されているが、近世以降、日本で人道の語が広く使用されるようになったのは....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 20125.わが国における人道わが国の文献では、人道の語は室町時代の史記抄での記述が辞書に引用されているが、近世以降、日本で人道の語が広く使用されるようになったのは儒教(儒学、朱子学)の影響によるところが大きいと考えられる。例えば、江戸時代前期に道(人道)思想をわが国に紹介した伊藤仁斎は、『語孟字義』の中で「仁義相行はるる、之を人道と謂(い)ふ」と説いている。また荻生徂徠は天道、地道との対比で人道こそが真の道であると説いた。これらの「人道」の概念は今日的な人道のそれと全く同義とはいえないが、儒教思想に見られる人倫(人の踏み行うべき道)としての人道(仁道ともいう)は、その後の日本社会で広く使用われるようになったようだ。例えば、江戸時代末期の二宮尊徳は『二宮翁夜話』の中で、勤勉の教えの柱に天道と人道をすえ、人道の語を繰り返し使用している。つまり、日本語の「人道」はhumanityの訳語ではなく古来、日本人が儒教思想に見られる人倫や仁愛、あるいは天道との対比で用いてきた言葉であり、それが西欧語由来のヒューマニティの概念と同義的であることから広く用いられてきたと考えられる。おわりに人道または人道主義という言葉と概念は、民主主義や自由といったそれらとともに、現代社会の普遍的価値として喧伝されている。それらの起源は、古代ローマの「フマニタス」や儒教思想の「仁愛」に見られる人間尊重の思想に繋がるものであり、その意味において人類の二千年以上の歴史を越えて受け継がれてきた「人類の普遍的価値」ということができるだろう。一方、人道的感性を人間の同情(憐れみ)や共感の感情に基礎づける理論は、東西の思想家に共通に見られ、今日においても人道主義の普遍性を基礎付ける理論の一つになっている。他方、冷戦後の人道問題が多発する今日の世界においては、人道支援や人道的介入又は近年の「保護する責任」の名の基に国家や軍隊を含む多様なアクターが人道的活動を展開するようになったことから人道の語が無秩序に濫用される傾向にあり、そうした中で人道支援の本質が曖昧にされ、援助の現場で少なからぬ問題が生じている。こうした背景から欧米の学者を中心に人道支援や人道機関の規範や原則を巡る活発な議論が展開されるようになった。しかし、これらの課題の出口は必ずしも見えてはいない。とはいえ、近世以降、人間尊重の思想を代弁してきた「人道主義」または「人道」の語に代わる新たな“コトバ”が存在しない以上、この言葉は今後も引き続き高い規範性と価値性を維持し続けなければならないだろう。そのために、私たちに必要な“タシナミ”は何なのかを国際社会は真剣に考えるべきだろう。水戸黄門の印籠が軽率かつ無秩序に濫用されたとき、その価値は減衰し、誰もそれに平伏す者はいなくなる。そうなれば、この言葉の“ゴリヤク”である無差別な援助に支えられる多くの無辜の人々の命が危機にさらされることになるだろう。人道研究ジャーナルVol. 1, 2012113