「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 127/216

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」創刊号 の電子ブックに掲載されている127ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 201219世紀中頃のロンドン事情とナイチンゲールの看護論―「瘴気説」から看護論の展開―London Affairs about the middle of the 19th Century and Nightingale’s Nursing....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 201219世紀中頃のロンドン事情とナイチンゲールの看護論―「瘴気説」から看護論の展開―London Affairs about the middle of the 19th Century and Nightingale’s NursingTheory - Development of Nursing from“Miasma”(1)徳永哲1.緒言19世紀中頃のロンドンでは公衆衛生の改善が行われるようになった。上下水道の整備が進められた。悪臭の根を絶つことを目標に大掛かりな公共事業が行われた。その公共事業を推進したのは救貧委員会の事務局長チャドウィック(Edwin Chadwick)であった。チャドウィックは公衆衛生の医療顧問トマス・サウスウッド・スミス(Thomas Southwood Smith)が主張した「瘴気説」を積極的に展開し、公衆衛生の改革を訴えた。「瘴気説」というのは、人が「悪臭」を吸い込むことによって、それが気管から肺へ行き、肺から血液の中へ入って体液を悪化させ、病に至るというものであった。また、他者への伝染は病にかかった人が有害な「悪臭」を皮膚や汗から発散させることから生じるというものであった。「瘴気説」は公務員や議員たちの支持を得て、一般に最も有力な説なった。医学が進歩した今日の視点から「瘴気説」を見るならば、非常にお粗末な理論であると思える。この「瘴気説」は、後に歯科医ジョン・スノー(John Snow)によって覆されることになるが、1830年代から1850年代に至るまでの度重なるコレラ大流行の原因であり、人の死因であると信じられていたのである。ナイチンゲールは「瘴気説」を信じていた一人である。というより、彼女はそれを積極的に「瘴気説」を取り入れ、発展させたと考えるほうが正しいかもしれない。彼女の最も著名な書『看護覚え書き』で、部屋の換気と悪臭の排除や排水管からの臭気止めなどを強調し、罹病の予防を説いている。第1章に「人が住んでいなかった部屋があり、暖炉はぴったりと板で閉ざされ、窓は開けられたことがなく、よろい戸もたぶん閉められたまま、そしてそこはおそらく物置がわりに使われていて、新鮮な風がそよぐことも一すじの陽の光が入ることもない。空気はよどんでかびくさく、この上もなく汚れている。そこは天然痘、猩紅熱、ジフテリア、その他ありとあらゆる病気を育てるのにおあつらえむきである。」1)と書いている。もちろん、今日、「かびくさい臭い」や「よどんだ空気」から天然痘や猩紅熱やジフテリアなどの伝染病に罹ると考える人はいないだろう。現代人は、それらの病気が伝染病であるだけでなく、天然痘やジフテリアにはワクチンがあり、猩紅熱は抗生物質が開発されていて、今日では特段恐ろしい病気ではないということを知っているし、それらを発症させる細菌やウィルスが存在していることも知っている。しかし、もし仮に、現在未だワクチンや抗生物質が開発されていない世の中で、細菌やウィルスの存在を誰も知らない病気があるとしたらどうであろう。現代人はその病気をどのように防ぐことができるであろうか。突然襲ってくる恐ろしい伝染病の前になす術もなく、ただ脅えるだけではないだろうか。あるいは医学の遅れを責めたてるだけであろう。病気が予防できないと知った時、何をなせばよい(1)日本赤十字九州国際看護大学人道研究ジャーナルVol. 1, 2012125