「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 128/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012のだろうか。ナイチンゲールの『看護覚え書き』はどうすれば良いかを教えてくれているのではないだろうか。今日、医学の進歩によって、多くの恐ろしい病気はこの世から....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012のだろうか。ナイチンゲールの『看護覚え書き』はどうすれば良いかを教えてくれているのではないだろうか。今日、医学の進歩によって、多くの恐ろしい病気はこの世から消えてしまうか、処置さえ誤らなければ死に至るようなことはなくなった。現代先進国の人々は医師を頼りにして疫病から逃れることができるようになった。そういった意味では現代人は、病気からは平和で安全な時代に生きているといえる。しかし、現代人は貴重な代償を払ってはいないだろうか。すなわち、現代人は大切なものを失いつつあるのではないか。その大切なものとは、「感覚」である。特に、嗅覚である。病原菌や微生物の発見によって、衛生面で嗅覚の価値や果たす役割はほとんど無くなりつつある。物一つ食べるのにも、権威ある省庁や食品管理局などが記したお墨付きを信頼し、食の安全の責任をすべて当局に転嫁して、安心を得ているのが現状である。現代人の感覚の鈍化あるいは感覚への信頼の欠如は、災害被災地や発展途上国への支援を考える際、何らかの影響を及ぼすように感じられる。被災地支援というと誰もが物資や医療、薬剤の援助を思いつくであろう。ニュースなどのテレビの映像には被災地の模様が映し出され、現状を知ることができるが、現地に行かなければ感じることのできないものが一つある。それは「悪臭」である。確かに飢えや病で死ぬ人はいるが、「悪臭」で死ぬ人はいない。しかし、「悪臭」を絶つことにはそれなりの意義がある。公衆衛生を良い状態で保つにはまず悪臭を絶つことであると、それこそが病気予防の基本であるとナイチンゲールは教えてくれるのである。2.コレラと「瘴気説」19世紀になって英国の社会事情は激変した。1830年には鉄道が整備され、蒸気機関車が走るようになった。産業都市は鉄道輸送によって急速な発展を遂げた。また、人々の移動が容易になり、地方やアイルランドの各地から労働者が産業都市へ集まってきた。産業都市に集まる労働者には、これまでにない新しい傾向があった。その傾向とはそのほとんどが特殊技能を有さない労働者であったということである。19世紀に入って、アイルランドをはじめ英国の農業は穀物やジャガイモの不作が何年か毎に起きて、飢饉が慢性化していた。また、蒸気機関を使った脱穀機械が登場し、農地も資本家の手に渡り、農民は農業労働者になった。金物業、製陶業、織物業は企業化し、大量生産体制を整えた。そうした企業で働く労働者に特殊技能は要求されなかった。男の大人ばかりでなく、女子供に至るまで、働く場が提供された。労働者階級という英国に新しい階級が生まれたのである。一方、地方の中小の織物工場や小規模農家は倒産、困窮した。職や土地を失った地方の人々がロンドンに流れ込んできた。テムズ川南岸バーモンジーからイーストエンドにかけて貧民街が出来上がり、貧困、暴力、売春の温床になった。テムズ川やそこに注ぐ小川や下水道には汚水があふれ、街中に悪臭が蔓延していた。そのような「悪臭」に満ちたロンドン市民に公衆衛生の自覚を訴えたのはエドウィン・チャドウィック(Edwin Chadwick)であった。彼はロンドン市民を恐怖に陥れたコレラと「瘴気説」を結びつけ、ロンドンの公衆衛生の大改革を実行したのである。コレラはインドのベンガル地域に古くから存在した風土病であったらしいが、1817年頃からイ2ンドの広範囲に広がった。脇村孝平)によると、1817年頃からコレラは「風土病」から「疫病」へと転化したということである。また、コレラがインドに蔓延した理由として、カルカッタの大126人道研究ジャーナルVol. 1, 2012