「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 136/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012ンタビューに対し、強制収容所の状況を自らの安全を考慮した上で直接現地から報告することの難しさを述べている8。このような状況の中で、Jean-Claude Favezは、ICRC文....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012ンタビューに対し、強制収容所の状況を自らの安全を考慮した上で直接現地から報告することの難しさを述べている8。このような状況の中で、Jean-Claude Favezは、ICRC文書を自由に閲覧して、1988年に赤十字とホロコーストに関する著作を出版した9。この著作を受けて、ICRC総裁Cornelio Sommarugaはアウシュビッツ50周年を機に、ICRC委員会総会の意向というよりも、本人の意思で、遺憾の意を伝える旅に出ている。また、BBCのインタビューに答えて、スイスの国政にかかわる人間がICRC委員であったことに問題があったとも述べている。Fabrizio Bensi (head of the ICRC's historical archives unit)は、このJ-C Favezの著作の成果によって、ICRCのアーカイブスを一般に公開し、自らが社史を刊行するのではなく、研究者に自由に記述してもらう方がどれほど良いか分らないと考えるようになった10と語っている。こうして、1996年になって、1863~1951年の文書が一般に公開されることになった。ちなみに彼は1991年からアーキビストとして勤務している。現時点でのICRC公開文書は、6,700メーターある。Jean Pictetが決めたコードにより、次のようにAからPに区分されている。1Aは1854年以来の文書1であり、主要なものは、1863年2月17日以降のICRCの委員会総会の議事録に関する文書。書棚スペースで54メーター12Bは1917年以降のICRCの活動についての文書で、3,313メーター。とりわけ、日清戦争、第2次エチオピア戦争(2nd Italo-Abyssinian War)、スペイン内戦、それに第2次世界大戦関係の史料Cは1870年以降の安否調査・保護関係の文書で、2,298メーター。1870年から今日までの安否調査関係史料は、バーゼル(普仏戦争)、トリエステ(露土戦争)、国際捕虜情報局(第1次世界大戦)、スペイン・サービス(スペイン内線)、中央捕虜情報局(第2次世界大戦)、中央安否調査局(1950年以降)に区分されている。Dは1921年以降のICRC駐在事務所関係で、356メーターOは1921年以降の連盟あるいは各国赤十字社等との人道問題の調整にかかる文書で、127メーター。ICRCと連盟は一般市民救護のため緊急混成組織を1941年に設置し、活動調整を行ったが、これらの活動に関わる文書。また、Henry Dunant Instituteに関する1965 ? 1998年の文書があり、1965 ? 1975年分は一般に公開されている。Pは1859年から1991年までの個々人の文書関係で、20メーター。"De Solferino a Tsushima,Histoire du CICR"著述にかかるPierre Boissierの使った資料などがある。Vは1840年以降のその他文書で517メーター。この中には1920年からのフィルム、1940年以降の写真、1951年以降の録音物などである。これらの文書の一遍々々の目録ができているものもあれば、ファイルごとに大まかな名前がつけられているものもある。日本赤十字社または日本関係の文書について史料検索を試みた。北朝鮮帰還事業関係だけで、約15センチ幅のボックスに21巻はある。したがって、書棚スペースで言うと、3段分を超える膨大134人道研究ジャーナルVol. 1, 2012