「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 137/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012な史料が残されていることになる。タブロイド判ほどの、642頁の目録(1951 ? 1965)中の日本関係の文書と思われるものに付箋を付けてみた。まさに気の遠くなるような量....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012な史料が残されていることになる。タブロイド判ほどの、642頁の目録(1951 ? 1965)中の日本関係の文書と思われるものに付箋を付けてみた。まさに気の遠くなるような量であった。昨年のアーカイブス訪問者は約200人。研究者などとの通信・連絡は1,600通(一昨年までの平均は1,200通)に及んだとのことである。大学関係者(教員、博士課程の学生)がほとんどで、ジャーナリストあるいは少数だが観光客の訪問もあるそうである。地域としては、ヨーロッパ各地がほとんどで、アジアでは日本からの訪問者も相当数いるとのことであった。関心事の6~7割は1930~1960年の事象とのことである。スペイン政府から派遣された研究者が2 ? 3週間ずつ数回にわたって、アーカイブスを訪れ、スペイン内戦に関する史料のデジタル化をしていったそうである。Salamancaのスペイン内戦関係博物館のためであった。「ジュネーブで借りた文書デジタル化のための機材のリース料、スペインからの研究者等の滞在費・日当など、すべて計算すると5桁あるいは6桁かもしれない」とFabrizioBensiは語っていた。日本赤十字社の主要な活動に関する、わが国には残されていない一次史料のデジタルコピーを日本に持ってきて、日本の研究者の自由な閲覧に供することができないかと夢見るが、それには相当な覚悟と予算が必要であろう。しばらくは細々と、足腰の痛みに耐えながら、忍耐強くデジタルカメラでの文書撮影を続けざるを得ない。同時に日赤の史料を公開するための準備に着手しなければなるまい。ICRCは建物を建てる時には必ず特別の付帯施設(温度・湿度調整、炎感知器、二酸化炭素による消火設備、防犯警報等)付のアーカイブスを設けているとのことである。ちなみに、ジュネーブの郊外(Satigny)にあるICRCの救護資機材倉庫にもアーカイブスを併設したとのことである。最近のICRC総会で、2015年1月に1966年から1975年の文書が公開されることが決まったとのことである。連盟のアーカイブス連盟のアーカイブス担当のGrant Mitchellが連盟に勤務するようになったのは、1996年である。連盟は1919年設立当初のジュネーブSt. Pierre Cathedralの正面向かって左手の建物(MaisonMallet、現在Musee International de la Reforme)に事務所を構えてから、1922年9月にはパリに移転し、1939年にジュネーブに戻るまでの間、少なくとも3回パリでの事務所を変えている。さらにジュネーブに戻ってからも、おそらく3つの事務所を経て、1959年に現在の事務所に移転している。このような中で、1996年に彼がアーキビストとして連盟に勤務した直後の2年間は、文書がどのように保管されているかの確認から始めざるを得なかった。現在、書棚換算で1,000メーターの文書を抱えている。フィルム、写真の類は、国際赤十字・赤新月博物館に預託してある。会議の決議・決定あるいは出版物は即時、会議の議事録などは20年後、書簡・出張報告などは30年後に一般に公開されることになっている。人事評価など、個人の人事ファイルは原則として無期限に公開されない。ジュネーブの大学・専門学校などからのインターンによって、文書目録の作成を図ってきた。現在、2種類のデータベースを保有している。出版物の類と交換書簡、出張報告書などである。後者にはファイルに含まれている史料の内容の概略が記述されている。日本赤十字社関係の文書史料として公開されているものは、250ファイルある。連盟のアーカイブスは連盟事務所の地下部分だけでは収まりきらず、ジュネーブ郊外(Carouge)人道研究ジャーナルVol. 1, 2012135