「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 25/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 20122011年の出来事:ケニア?現在そして長期的な食糧安全保障2011年は、「アフリカの角」と呼ばれる地域における悲惨な食糧危機という現実とイメージが強く印象付けられた....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 20122011年の出来事:ケニア?現在そして長期的な食糧安全保障2011年は、「アフリカの角」と呼ばれる地域における悲惨な食糧危機という現実とイメージが強く印象付けられた年でした。最も影響を受けたのはソマリアとケニアで、数十万人の人たちが生活して行く上で必須のサポートを受けるために人道支援部門に頼ることになりました。影響を受けた地域のIFRCと各国赤十字社は、協力して大規模な対応を行いました。ケニアでは、ケニア赤十字社(KRCS)が学校給食制度、地下水汲み井戸の復旧、一般向けの食糧配給などを実施しています。また、地域や学校単位での持続可能な食糧供給のための、温室栽培の導入支援も行っています。しかし、ケニア赤十字社の仕事は、直近のニーズに応えるだけではありません。ケニア赤十字社は、世界中から支援を受けながら、何年にもわたって農村地帯における気候変動の影響に取り組んできました。例えば、タナ川流域の干ばつ復興プロジェクトでは、ケニアで最も貧しい地域で貧困にあえいでいた農民の生活を向上させました。タナ川地域では、10年以上におよび繰り返し発生した干ばつと、壊滅的な洪水により、貧困に拍車がかかっていました。かつては最も豊かな農村地帯であったタナ川北地域では、住民の77パーセントが貧困ラインを下回っており、その半数以上は基本的な食糧さえ手に入れられない状態でした。1997年の干ばつでほとんどの家畜が犠牲になり、家族を養う事ができなくなってしまうと、農耕を始める牧畜民もいました。干ばつはその後も数年続き、苦難の日々が続きました。2007年から2009年まで干ばつが続いたため、赤十字社は支援に動きました。日本政府から70万米ドルの支援を受け、農業生産の改善と多角化、および季節労働による収入確保を通して、生活を改善するなどの復興支援を開始しました。3つの地域の農民に対し、耕作地を広げるための支援が行われ、1,200エーカーの土地に鋤が入り耕されました。何トンもの種と何千もの苗が配布され、近くのタナ川からの水を有効活用するための灌漑ポンプが供給されました。農民のアデン・シェクは次のように言っています。「農業従事者として、子供を学校に行かせることができ、今も続いている干ばつの間も、飢えなくて済んでいます。これで生活できます。そして自信もついて来ました。」また、アデンの隣人はこう言っています。「これまでの苦難を思うと、今までと同じことをやっているわけには行きません。とにかく耕作地をもっと広げ、水路を増やし、もっと機械を入れることで、地域社会の役に立ちたいと思っています。事業の状況はよくなっていますし、軌道に乗ってきました。私は幸せ者です。」重度の栄養失調のカンヤン君(9歳)。ジェームズ・ムワンギ(ケニア赤十字社のチームリーダー)と。トゥルカナのカイコー健康安定センターでcSimone Novtnyケニア赤十字健康アウトリーチチームの訪問。ケニアの北東部、ワジールから南1時間半のバスバス村にて。cJonathan Kalan人道研究ジャーナルVol. 1, 201223