「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 45/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012戦略は、2001年に採択されたが、国際会議のあり方の検討や戦略の分析を行い、次回会議に改正案を提出することになった。E.パレスチナ赤新月社とイスラエル・ダビデの赤....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012戦略は、2001年に採択されたが、国際会議のあり方の検討や戦略の分析を行い、次回会議に改正案を提出することになった。E.パレスチナ赤新月社とイスラエル・ダビデの赤盾社による協定書の履行についてパレスチナ赤新月社とイスラエル・ダビデの赤盾社との間では、2005年11月28日に協定書が締結され、両社の活動地域の棲み分けなどについて合意がなされた。合意内容の履行状況は、独立した監視役によりモニターされ、その結果、協定書の履行には進捗が見られるものの、両社は今後も引き続き、合意内容の完全履行に努めることが求められた。Box 1核兵器に関する日本赤十字社の発言日本赤十字社は、唯一の被爆国の社として、一言申し上げます。日本赤十字社と核兵器との関わりは、広島に世界最初の原子爆弾が投下されたその瞬間から始まりました。1945年8月6日午前8時15分、広島上空に閃光が走りました。その一瞬で広島の町は瓦礫と化し、あまたの生命が奪われたのです。市内で働いていた医師300名のうち270名、看護師も1,780名中1,654名が命を失いました。病院や診療所も燃えて灰になりました。このような惨状のなか、ひとつだけ残った病院がありました。日本赤十字社の広島赤十字病院です。爆心地から至近距離に位置していたにもかかわらず、奇跡的に全壊をまぬがれたこの病院には、原爆投下直後から大勢の負傷者が運びこまれました。設備も医薬品もなく、医師や看護師もほとんどが死亡していた状況でしたが、そこには、人々の献身と救いの手がありました。投下から1か月後、今では広島で「恩人」と慕われる赤十字国際委員会のマルセル・ジュノー博士が外国人医師として初めて広島入りし、その惨状、人類への脅威を世にはじめて伝えたのです。これは、日赤のみならず、赤十字全体が核兵器のもたらす人道的影響を目の当たりにした瞬間でした。核兵器がひとたび使われると、一般市民は少なくとも3回にわたって被害を受けます。爆発で負傷するだけでなく、生涯にわたって続く心身のトラウマを抱え、さらに、被曝の影響で死に追いやられることもあるのです。現場近くにいて直接的な被害を受けなかった人たちも、生涯にわたって放射線に蝕まれる不安におののき、あるいは大勢が亡くなるなかで自分だけが生き残ったという罪悪感に苦しむ人もいるかもしれません。この点で、昨年2010年11月に広島で開催されたノーベル平和賞受賞者世界サミットでの近衞忠煇連盟会長の発言をここに引用します。「赤十字が第一に掲げる基本理念は人道、つまり人びとの苦しみをやわらげ、生命と健康を守り、人間としての尊厳を確保することです。その意味で核兵器は人道の理念に反する兵器です。」この決議案が今回の代表者会議の俎上に上がるまでには、核兵器の問題はきわめて政治的であり、地雷やクラスター爆弾の問題とは次元が異なるという意見にも多く直面しました。確かにその道のりははるか遠く険しいものかもしれません。しかし、このことが、我々赤十字が行動をやめる理由にはなりません。この決議案は、ゴールではなく、スタートです。国際人道法の観点から、核兵器の使用禁止を訴えることは、赤十字ならではの切り口として、今回の決議の大きな意義と考えます。そのうえで、核兵器の問題は、その使用だけでなく、製造、保管、移転、廃棄といった一連のプロセスにおいて、例えば核実験がもたらす影響、また、核兵器関連産業の従業員などの被ばく、あるいは廃棄された核兵器の処理にかかる問題など、大きな広がりをもった問題であることも忘れてはなりません。日本赤十字社は、本決議案の共同提出社として、また、赤十字運動の中でも特に本件に強い思い入れがある社として、本決議が赤十字代表者会議で議論され、採択されることを歓迎します。人道研究ジャーナルVol. 1, 201243