「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 53/216

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」創刊号 の電子ブックに掲載されている53ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012東日本大震災救護を振り返って(1)山田史2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、日本の太平洋三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震で....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012東日本大震災救護を振り返って(1)山田史2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、日本の太平洋三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震で、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした。一年あまりが経過するなかで、地震、津波、原発事故による3重の大被害をもたらした未曾有の大災害を、日本赤十字社の救護活動を中心、活動から得た教訓をもとに今後の改善点を含めて振り返ってみたい。1.はじめにこの災害による人的被害は復興庁の発表では2012年2月9日現在、死者15,853人・行方不明者3,282人にのぼり、津波・原子力発電所(以下、原発)事故からの避難者は、全国で342,509人となっている。この災害は、その地震の大きさはもとより、想像を絶した大津波の発生、予期せぬ原発事故、雪による寒さなどに加え、本来災害救護にあたるべき地域の行政が機能不全に陥ったことなどから、救護活動をこれまでに経験したことのない困難なものにした。2.支援活動の実際(1)医療救護活動災害発生直後から日赤、日本DMAT(Disaster Medical Assistance Team災害派遣医療チーム)、日本医師会災害医療チーム(JMAT)、大学病院、国立病院機構、日本病院会、全日本病院協会、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会などが多数の医療チームを派遣し、被災者の医療や健康管理を行った。しかしながら初期には、現地情報の入手困難、通信手段の途絶、交通網の不通、多くの組織が多数の医療班を派遣したことなどにより混乱が生じた。時間の経過につれて地域医療の確保のために、県レベル・地域レベルの双方で各種調整や情報交換を行うために、医療関係者による医療調整会議が開かれた。岩手県では発災直後は県の要請でDMATが救護医療活動の調整を行なった。その後広範囲の避難所に対応するため、3月20日に日赤・岩手医科大学など多組織により「いわて災害医療支援ネットワーク」が立ち上がった。3月22日には県内を8つの地域に区分し、それぞれに調整を担当する組織を決定した。日赤の担当は陸前高田・釜石地区となったが、その他の地域でも日赤の活動は継続していた。日赤救護班に関する調整は、盛岡赤十字病院の久保直彦災害対策委員長を中心に行なわれた。宮城県は県が被災前から任命していた複数の「宮城県災害医療コーディネーター」が県の災害対策本部で情報収集や患者搬送の調整を行った。特に被害の大きかった石巻医療圏では、その一人である石巻赤十字病院(以下、石巻日赤)の石井正医師を中心に「石巻圏合同救護チーム」が3月20日に発足して各組織の救護班を統括し、救護活動を効果的に展開できた。一方で福島県では、県・福島県立医大などによる「福島県災害医療支援ネットワーク」がスタートし、情報収集・派遣先調整などを行なった。日赤は県北地域と会津地域の担当となった。(1)日本赤十字社事業局長日本赤十字学園常務理事人道研究ジャーナルVol. 1, 201251