「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 55/216

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Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012これらの班は、当初情報不足からたどり着いた場所で救護医療を展開したが、情報が次第に確保できるようになると、それぞれ必要とされる地域に移動し、診療を開始した。....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012これらの班は、当初情報不足からたどり着いた場所で救護医療を展開したが、情報が次第に確保できるようになると、それぞれ必要とされる地域に移動し、診療を開始した。本社の災対本部内に、業務班として救護班・防災ボランティア班・こころのケア班などを設置して情報収集・機能調整などを行った。今回初めての試みとして、本部医療コーディネーターとして武蔵野日赤病院救急部・勝見敦医師を依頼し、被災地のコーディネーターや医師たちとの連絡・調整を行ない、また自らも被災地を巡り活動した。これらの活動の結果、取扱い患者数は東北3県で、3月中に約32,000人、4月中が約24,000人、5月中が約12,000人で、総計約87,000人に上っている。この災害により東北で最大の被害を出したのは宮城県臨海部であった。特に、石巻市・女川町・東松島市を中心とした石巻医療圏では死者・行方不明者が約9,000名に達し、ほとんどの病院・診療所が地震・津波による被害で壊滅状態にあり、唯一生き残った石巻日赤に患者が集中することになった。同院は5年前に海岸線から約4.5km離れた場所に免震構造で新築移転したことで、建物の地震による被害はほとんどなかった。院内では、地震の発生7分後に災害対策本部が召集され、1時間以内に救急体制を整え患者の来院に備えた。固定電話・携帯電話ともに不通で、週辺の状況は不明であった。当日の来院は約100名であったが、2日目は約800名、3日目1,300名、4日目700名と急増し、それ以後も通常の数倍の救急患者を受け入れた。重症患者では、外傷患者は少なく、津波と寒さによる低体温症やいわゆる津波肺といわれる肺炎患者が多く見られた。上気道感染や高血圧といった持病や高齢者の持病悪化で受診する患者が多く、軽症者が80%を占めていた。発災12時間を過ぎて、八戸赤十字病院の救護班を皮切りに、長岡赤十字病院DMAT、足利赤十字病院DMATが到着し、その後各地の日赤病院からDMATをはじめとする救護班が続々到着した。ざらには日赤に限らず全国各地の病院から医療チームが次々と石巻日赤に派遣されてきた。連日50-70チームを数え、人数にして500人を超えた。また治療が終わっても帰る手段や場所がない人々、石巻市内で唯一の病院の明かりを頼りに集まってきた被災者などで病院はごったがえしていた。初期は情報不足で避難所の状況が分からなかったため、写真3石巻赤十字病院の医療活動-救護活動の中核拠点として重要な役割を担う-発災7日目から300ヵ所以上にのぼる避難所に救護班を派遣して、本来は行政が行なうべき医療ニーズ以外の調査も含めて「アセスメント・シート」を作成し、避難所に必要な物資・衛生環境・ライフライン等の環境調査し情報を確保した。3月20日には前述の日赤病院内に拠点をおく「石巻圏合同救護チーム」が立ち上がり、このデータを活用して活動を行なった。発災から1週間以上が経過し、中長期の医療ニーズが高まっていることから、救護班の派遣調整を全国6ブロックに分けて本社がそれぞれのブロックの活動エリアを指定し、その後は各ブロックに置く代表支部がそれぞれのブロック内支部での救護班の派遣調整を行う方式に変更した。石巻日赤に対しては、休む暇もなく働き人道研究ジャーナルVol. 1, 201253