「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 81/216

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」創刊号 の電子ブックに掲載されている81ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012ことなく、ずっと、そこにいた三日三晩ずっと続けて行われるということになりました。例えば、けがをした方とか、発熱したお子さんとか、持病の悪化をした方とか、そう....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012ことなく、ずっと、そこにいた三日三晩ずっと続けて行われるということになりました。例えば、けがをした方とか、発熱したお子さんとか、持病の悪化をした方とか、そういう方がたくさんいまして、ずっと続けてやっていました。その間、私たちは、ほとんど飲めない、食べられない、十分に休むこともできないという非常に過酷な状態だったのです。学生も、私たちも、脱水状態というものが来まして、非常に体調の悪化を来してきました。そういう本当に大変な状態で続けたわけですけれども、学生は、私たちの前では、一切愚痴をこぼすとかそういうことはなくて、自分たちから率先して活動を続けていったというような状況でした。東浦:そういう活動ができたというのは、どういうことからだったのでしょうか。森岡:振り返ってみますと、自分たちが、看護学生であるという使命感もあると思いますし、あと、やはり赤十字の学校で学んでいるという思いがあったと思います。赤十字の活動を、折に触れて、講演活動とか、それから救護訓練とか、そういうことをしていましたので、いろんなことを身近で聞いて、知らず知らずに、自分たちもそういうときはやらなくちゃいけないというのがあったかと思います。あとは、みんな一緒だったという、仲間とともにというところがやはり支えになっていたかと思います。救護訓練は1年に1回、1~2年生が参加してやってまいりました。そういうときには、担架とか、それからテント設営とか、基礎行動訓練ということをしますけれども、そういう中で、各班に分かれてリーダーを就けてやるわけですが、そのリーダーの指示・命令系統をしっかり守らないと、救護もできないし、さらに、非常に危険であるというようなそういうことも体得できていたのかなと思います。ですので、救護中は、みんな教師の指示とか、それから、自然に発生した学生のリーダーとか、そういう指示にしっかり従って、全員が自分の役割を果たしたと思います。日本赤十字社の救護活動東浦:大変素晴らしいお話をお聞きしましたけれども、浦田看護部長さん、日赤の救護活動の実際について、ご報告いただけますか。浦田:赤十字の災害時の救護活動というのは、非常に多岐にわたりますので、医療救護に絞ってよろしいでしょうか。まず救護班です。救護班の派遣が6ヵ月以上にわたりまして、全国92の赤十字病院から821個班、6,500名以上を派遣して、8万7,000以上の人たちを診療しております。阪神・淡路のときは、約2ヵ月間の活動でしたので、それに比べると、大変長期にわたる活動でした。「こころのケア」班は、718名のケア要員を派遣し、1万4,000人以上の方々の心のケアを実施しています。今回は、今までになかった活動として、看護ケア班を新しく編成して派遣いたしました。これは、また後ほど少し触れさせていただこうと思いますが、慢性期の患者さんたちや、高齢者の方々が非常に多かったので、これまでの救護班の診療活動を中心とするものから、もっと枠を超え人道研究ジャーナルVol. 1, 201279