「人道研究ジャーナル」創刊号

「人道研究ジャーナル」創刊号 page 84/216

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」創刊号 の電子ブックに掲載されている84ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012面白いことに、実際に始まってみると、案ずるより産むがやすしでした。実際に行かれた先生たちが、報告をきめ細やかにしてくれたのです。行ってみると、行ったこと自体....

Journal of Humanitarian Studies Vol. 1, 2012面白いことに、実際に始まってみると、案ずるより産むがやすしでした。実際に行かれた先生たちが、報告をきめ細やかにしてくれたのです。行ってみると、行ったこと自体が自分たちの勉強になった。表現はさまざまですが、全ての教員に共通していました。具体的には、石巻の学生たちの明るさや実習への取り組みのまじめさ、熱心さがうれしかった、先生たちから、被災したときの状況について話を聞かせてもらったことで、行ってみなければわからないなと感じたなどです。あと、意外なことに、看護の教育の仕方の面で、病院の看護師の方々からの指導がていねいで、こういうやり方もあるのかと勉強になりましたとか。支援としての役立ち感と外に出てみることの意義と、この両方の意味が感じられました。出だしのところは割と慎重派の意見が多かったですけれども、いったん始まってみると、私たちは行きたいという声もだんだん高まってきたという感じです。もう一方の陸前高田市のほうは、これはちょっとプロセスがありまして、5月でしたか、広島の新道学長からの提案がありました。一つの大学でというのはとても難しいので、六大学合同でどこか1カ所地域を決めて、そこで継続的な支援ができないだろうか。東日本大震災の場合は、中・長期的な支援ということが重要になってくるんじゃないか。そこに関しては、これまで災害看護の分野でも蓄積がさほど多くないので、何かそこを考えていけないものだろうかという・・・。どういうふうに実現できるだろうかということを考えていたんですね。そこに本社浦田部長から陸前高田で看護ケア班を引き継がないかというお話をいただきました。とは言っても、やはり大学という性格上、そう簡単にはいかない。看護ケア班は2名1チームで継続的に各病院から派遣するというふうなことですので、大学が、それを同じように引き継げるかというと、これはやっぱり体質といいますか、体力といいますか、そこが違うのです。別なかたちで支援を引き継いでいくということにたどりつくまで、具体的な計画をするまでに少し時間がかかったかなと思います。何とかたどり着けたのは、現地で、六大学の学長が集まろうと声を掛けさせていただいて、先生たちで会合を持ったことがよかったのだと思います。現地で生々しいその光景を目に焼き付けるということがなければ、何かこう、いろんなことを乗り越えて、実現していこうというエネルギーが、なかなか出てこなかったかなというのが率直なところです。陸前高田の看護ケア東浦:浦田部長、なぜ、陸前高田の看護のケアを、大学にお願いをすることになったんですか。浦田:まずは、看護ケア班を、なぜ新しく作って派遣したかというところから始まりますが、今まで救護班という活動の内容は、そんなに断定的にきちっと決めているわけではなく、どうしても、診療の介助が中心となり、急性期の救護活動が中心でした。そのようなかたちでずっときていたわけですね。そうすると、今回は、急性期というより、むしろ慢性期の対象の方々が非常に多い状況でした。救護班の診療日誌から受診された方々のデータを見ますと、重症が0.2%、中・軽症82人道研究ジャーナルVol. 1, 2012