「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 115/276

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013年に刊行されたものであるため、1970年代以降の赤つけることを提案する」と付け加えた。さらにアッ十字標章を巡る議論を補足し解説する必要があり、ピアは、旗が兵士を鼓舞するように、それを見た最後に「訳者による補記」として『赤十字標章を巡だけでこの種の事業に最も必要な寛大な軍人魂をる現代の状況と赤のクリスタル標章の採用』と題す鼓舞し、あらゆる文明人に等しく見られるこの種る章を補足した。の事業を触発するような象徴的効果のある印を考赤十字標章は、戦時において医療救護活動を確実慮すべきだ」と主張した。に保護するためにも平時から適正に使用し管理するこの時のアッピアの発言には以下の重要な要素がことが必要であり、ジュネーヴ諸条約と同追加議定込められていた。すなわち、書並びに各国の国内法はその使用を厳しく制限して(a)国際的に認められた識別標章を採用すべきであおり、戦時における保護標章の背信的使用はジュネーることヴ諸条約の重大な違反行為とされている。赤十字標(b)標章は、国際的な協定により保護すべきである章の意味を正しく理解し、使用するためにも標章のこと歴史を知ることは不可欠であり、本書を通じて赤十(c)標章は、反射的に兵士の尊重を喚起するものであ字標章の意義と価値について人々の理解が一層深まることることを期待し訳出にあたった。当時の議事録には、アッピアが提案した白い腕章なおジュネーブの赤十字国際委員会の翻訳許可取になぜ赤十字が付け加えられたのかについての言及得の仲介等、様々なご配慮とご尽力をいただいた赤はなく、単に次のように記している。十字国際委員会東京事務所の真壁仁美氏に心より御「協議に続き、アッピアの提案は白地の腕章に赤十礼申し上げる。字を加えるという趣旨の修正の後に採択された。」本書の構成及び概略は以下のとおりである。2.ロシア・トルコ戦争(1876-1878)はしがきトルコは1865年7月5日、1864年のジュネーヴ条古代から白旗が降伏や交渉の意志を示す印とされ約に留保を付さずに加入したが、1876年11月16日、てきたが、慣習法によれば、白旗は休戦の印であり、同国政府は条約の寄託国スイスに対し、自国の救急白旗を誠実に表示するものを砲撃することは禁止さ車の保護標章として白地に赤新月を使用することをれていた。また救急車や病院を表示することも古く一方的に通告した。トルコは通告の中で、ジュネーからの慣行であったが、19世紀中頃までは国によりヴ条約の識別標章は、「イスラム教徒の兵士が嫌悪を異なる色でこれらを表示していた。例えばオースト抱くため、トルコはジュネーヴ条約上の権利行使をリアでは白旗、フランスでは赤旗、スペインとアメ妨げられてきた」と主張した。併せてトルコの救護リカでは黄色だった。表示される標識は一般的によ団体がコンスタンチノープルに再編成され、同社はく知られていなかったので、これらは殆ど尊重され赤新月を採用した。なかった。ICRCはジュネーヴ条約第7条の標章に関する規定保護標章が効果的であるためには、あらゆる人々に何らの留保も付さずに加入したのに、一方的に変がそれを知っていることが不可欠だったので、1863更を通告してきたトルコに不信感を抱き、オースト年の赤十字規約と1864年のジュネーヴ条約はこれをリア・ハンガリーとロシアは、国家の紋章を中立と確保することが譲れない条件だった。保護の標章として採用する危険性を指摘した。第一章標章の統一1.起源赤十字規約について協議した1863年10月28日の第三回会合議事録は、規約案第9条に関する議論の中で次のように記す。「国際委員会のアッピアは、国際的な識別標章の重要性を強調し、第一節に「左腕に白い腕章を3.平和会議とジュネーブ条約の改訂(1899年、1907年のハーグ会議;1906年のジュネーヴ条約)トルコ、ペルシャ(イラン)、シャム(タイ)代表は、病院船を保護する独特な特殊標章の使用を提案した。(それぞれ赤新月、赤のライオン及び太陽、仏陀の炎の印に十字を入れ込むもの)。人道研究ジャーナルVol. 2, 2013113