「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 116/276

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」Vol.2 の電子ブックに掲載されている116ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013アメリカ代表は、十字にはキリスト教的な宗教的1947年4月、第二次大戦の教訓を経て、ICRCは性格があるので、あらゆる国が承認可能な別の標章戦争犠牲者保護の条約を研究する政府専門家会議をを採用すべきであると主張した。しかしスイス代表招集した。予備会議に続き、ICRCは四つの条約草案が会議はジュネーヴ条約改訂の提案に意見を述べるを作成し、1948年8月、ストックホルムで開催され権限はないと主張したため、会議は様々な意見を記た第17回赤十字国際会議にこれらを提出した。標録するに留めた。章に関して条約草案は1929年のジュネーヴ条約第191906年の条約改定会議は、標章には宗教的な意味条を踏襲したが、ICRCは、標章の統一を強く主張し、がないこと、また文言は純粋に歴史的な赤十字の起イランが赤のライオン及び太陽の使用を放棄するこ源と標章の性格を強調するものであることを確認しとを期待し、最悪、赤新月のみを例外にしたいと考た。数カ国の非キリスト教国代表がこの説明に満足えた。し、これらの政府は条約第7条の原則の維持に反対この「ストックホルム草案」が1949年4月21日しなかった。そこで起草委員会は、次の文言を提案から8月12日までジュネーブで開催された外交会議した。で議論された。標章に関する草案第31条は、同会議「スイスに敬意を表して連邦旗の配色を転倒してで協議され、主に次の三つの提案が議論された。作成された白地に赤十字の紋章型の標章は、軍の衛(a)新たに唯一の統一標章を採択するというオラン生活動の特殊標章及び徽章として維持するものとすダ案る。」(b)赤十字標章のみに復帰するストックホルム会議この規定は、1906年6月28日の第四回総会で審議の勧告も反対もなく採択された。これが1906年7月6日の(c)第四の標章としてダビデの盾を承認するイスラジュネーヴ条約第18条である。エルの改訂案この間、様々な会議が開かれたが、結局、上記い4.1929年の会議ずれの案も具体化せず、1949年のジュネーヴ第一条第一次世界大戦終結後、大戦の教訓からICRCは約第38条は、1929年の条約第19条をそのまま踏襲ジュネーヴ条約の改訂を提案した。した。トルコ、ペルシャ、エジプト代表は、以前から主イスラエル代表は、自国の要求が拒否され、宗教張してきたそれぞれ独自の標章を使用すると宣言し、的な意味のない新たな統一標章も採択されなかった1907年以来、スイス連邦内閣はこの留保を承認してとして、第一、第二、第四条約の最終投票を棄権し、おり、それにどの国も異議を唱えてこなかったと主第一、第二、第四条約に次のような留保を付して署張した。名した。これにフランス、イタリア、日本、オランダ、オー「特殊標章と条約の標章の不可侵性を尊重しつつストラリアそしてニュージーランド代表は異議を唱も、イスラエルは、軍の衛生活動の標章及び特殊記えず、赤新月と赤のライオン及び太陽の二つの標章章としてダビデの赤盾標章を使用することを留保すの採択に賛成した。こうして、新たな二つの標章をる。」認める1929年7月27日のジュネーヴ条約第19条が以下のように規定された。6.近年の発展(1949年-1976年)「スイスに敬意を表して、連邦旗の配色を転倒して作成される白地に赤十字の紋章は、軍の衛生第二章赤十字社の標章活動の特殊標章として維持するものとする。もっ1.各社の承認とも、赤十字の代わりに識別標章として白地に赤イスラエルは、1974年から1977年の国際人道法の新月及び赤のライオン及び太陽を既に使用してい再確認と発展のための政府外交会議でダビデの赤盾る国にあっては、この条約によりこれらの標章も標章の承認を得ようとしたが実現しなかった。認められるものとする。」2.未承認標章5.1949年の会議―アフガニスタン―キプロス―インド―イスラ114人道研究ジャーナルVol. 2, 2013