「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013手喝さいを受けていたかもしれない。これは勝手な想像かもしれないが、しかし、可能性として思わざるを得ない。1.クリミア戦争と熱病1854年11月にナイチンゲールはコンスタンチノープル郊外のスクタリ(Scutari)に在るバラク陸軍病院(Barrack Hospital)に赴任した。着任後3週間も経たないうちに、クリミア半島の最前線で大きな戦いがあり、負傷兵の患者の数は2千名を超えたとされている。しかし、病院内の医療設備や備品は不足していた。室内便器や洗面器や石鹸などですらほとんどない状態であった。しかも、物資を満載した輸送船が冬の嵐に巻き込まれて沈没するという災難も重なった。物資不足の英国軍はクリミアの本格的な厳しい冬を迎え、飢えや凍傷さらには疫病にかかり、壊滅状態にまで陥ってしまった。大勢の負傷兵や病人がスクタリの病院に運び込まれてきたが、そのほとんどがすでに死んでいるか、瀕死の状態であった。病院内は3千人もの患者を収容できるようになっていたが、ベッドがその数だけあったのではなく、1メートルほどの通路を挟んで床にマットを敷いているだけのものであった。夜病室に入って見まわることのできた看護師は師長のナイチンゲールただ一人に限られていた。ランプの明かりを頼りに、彼女は狭い通路を通って患者を見て回ったのである。院内の換気はなく、不潔で悪臭が漂っていた。12月アイルランドの飢餓熱(Famine fever)やコレラが猛威をふるった。アイルランド飢餓熱というのは、発疹チフス(Typhus fever)、回帰熱(Relapsing fever)、赤痢(Dysentery)であるが、兵士に貧しいアイルランドからの志願兵が多かったことがわかる。医療従事者(外科医や看護師)も熱病やコレラに感染して多数死亡した。当時のクリミアの英国軍は6種の熱病に苦しめられていた。その熱病には症状によって区別されていた。具体的には、間欠熱(Intermittent fever)、弛張熱、単純性稽留熱(Simple continued fever)、回帰熱、発疹チフス、腸チフス(Typhoid fever)などである。それら6種の熱病で罹患者が最も多くて、最も致命的であったのは発疹チフスと腸チフスであったとされる。その2種に次ぐ病が弛張熱であった。フランス軍やトルコ軍の兵士も罹った。クリミア熱として一般に広く知られているのは弛張熱である(6)。陸軍戦時大臣のシドニー・ハーバート(Sidney Herbert)はナイチンゲールの要求や不満を受け止め、彼女を支えていた。しかし、バラクラヴァ(Balaclava)の奇襲作戦で、陸軍は大勢の兵士や軍馬を凍死や餓死させてしまった。政府の責任が問われ、シドニー・ハーバートは翌年に陸軍戦時大臣を辞任してしまった。ナイチンゲールは最強の後ろ盾を失うことになった。新首相にパーマストン(Henry John Palmerston)がなり、陸軍大臣にパンミュア卿(Fox Maule Panmure)がなった。新体制はハーバートのようなナイチンゲールとの結びつきはなかったが、彼女の意見を聞くまでもなく、病院管理体制や衛生面での改善に積極的に乗り出した。衛生保健局出身のサザランド医師(Dr. JohnSutherland)他土木技師を含む3人の衛生委員をスクタリに派遣した。委員会は病院の建物と野営地の衛生状態を調査した。給水路と貯水槽が汚染され、汚濁していることが明るみになった。下痢患者のための便所は無蓋で水洗設備なし、下水溝があふれて周辺の壁に吸収され悪臭を放っていた。委員会は大量の動物の死骸やゴミを除去、下水溝を消毒、壁の害虫を石灰で駆除した。環境衛生改善の効果は目に見えてあらわれた。病院の死亡率は急激に低下。瘴気説を信じていたナイチンゲールは環境衛生の改善がなされたことに気をよくし、看護師の仕事に精を出すことができるようになった。彼女はまた、洗濯室や読書室などを設置した(7)。2.バラクラヴァ行きの災禍1855年5月クリミア半島のバラクラヴァに新しい軍事病院ができることになった。クリミア戦争の英国軍司令長官ラグラン卿(Lord Raglan)は手の余った看護師の派遣を望んだ。エリザベス・デーヴィス(ElizabethDavis)という新しく派遣されてきた60歳代後半の看護師がバラクラヴァ軍事病院へ行くことを申し出た。看護師の集中管理を考えるナイチンゲールはエリザベスの申し出を理由もなく拒否した。しかし、エリザベスは118人道研究ジャーナルVol. 2, 2013