「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013参考資料Ⅰ?Ⅲに関する編集者注I.秘「広島の原爆被害の報告」(ICRCアーカイブス所蔵文書G.3/51)1945年10月24日付で赤十字国際委員会(ICRC)の駐日代表部のフリッツ・W.ビルフィンガー(FritzW. Bilfinger)が提出したヒロシマ出張報告(原文は英語)である。ICRCのアーカイブスに保管されている。ジュノーは1945年11月9日付の報告の中で、この報告を新聞記事の域を出ていないとしている。しかし、ジュノーに先立って、どのような報告がジュネーブに出されていたか、またわが国ではヒロシマの恩人としてジュノーだけにスポットライトが当たっているが、被災現場から離れるようにとのジュネーブからの指示に反して、志願して広島に赴いたビルフィンガーからの電報なしには、12トンの医療資材が広島に届くこともなかったであろう。この観点からも、ビルフィンガーの報告を見ておく必要があるものと考える。尚、この文書の存在については、「ヒロシマ”直後の報告“」として、2002年6月16日付毎日新聞第30面トップ、「原爆の被害想像を絶する」として、また同日の日本経済新聞第38面に、在ジュネーブの共同通信特派員からの記事が掲載されている。とくに、毎日新聞には、「被爆者支援に大きな役割」の見出しで大川四郎愛知大学法学部助教授(当時)の、「ビルフィンガー氏の働き掛けがなければ、救援物資は届くことはなかった。その意味で日本、特に広島にとっては無視できない存在で、さらに知るべき価値がある。」というコメントが掲載されている。II.1945年11月9日付マルセル・ジュノーのICRC委員長宛て報告(ICRCアーカイブス所蔵文書G.3/51)愛知大学法学部大川四郎教授訳口述筆記のできる秘書も持たず、タイプライターはフランス語のアクサン記号を欠き、活字も半ば摩耗した状態であったものを使って、マルセル・ジュノーが1945年11月9日に書き始め、11月16日までかかった報告である。広島での出来事は当然のこと、俘虜と民間人抑留者の保護収容、神戸、東京、横浜の各都市における外国人居留民への救恤の実施、駐日代表部の内情と今後の在り方(とくにビルフィンガーをめぐる問題)、スパイ容疑で日本軍憲兵隊により逮捕され、現地の軍法会議で死刑判決を受けた9日後の1943年12月20日に処刑された、在ボルネオのICRC代表であったヴィッシャー博士の消息、アメリカ軍との関係などの渉外関係、日本人の状況など多岐にわたる貴重な史料であると考える。愛知大学の大川四郎教授が、2004年のマルセル・ジュノー生誕百周年当時にマルセル・ジュノー顕彰に関係している人々に対して、広島で配布したものを、ご厚意で掲載することにした。なお、当時の配布資料は仏文の後に括弧書きで邦訳が記されているが、大川教授のご了解のもと、掲載にあたって、紙幅の関係から邦訳だけとした。このため、仏文につけられていた訳注について、割愛させていた箇所があることを記しておく。III.1945年11月5日付マルセル・ジュノーのICRC委員長宛て報告(ICRCアーカイブス所蔵文書、G.3/51)愛知大学法学部大川四郎教授訳愛知大学大川四郎教授からのご教示によれば、原文では、「1945年11月5日」とタイプされているが、広島平和記念資料館学芸部にあてたGeorges Willemin氏(Head of ICRC Archives Division 2002年当時)からの連絡により、「1945年12月5日が正しい」とのことである。内容的に見ても、敗戦後の日本国内の記述が生々しい「1945年11月9日付ジュノー報告」に比べると、本報告での記述は事態がひとまずは鎮静化している印象を与える。しかも、本報告書に添付されているアメリカ軍ハーディ大佐(巣鴨プリズン所長)からのジュノー博士宛の書簡は1945年12月2日付となっていることも、本報告書が1945年12月時点に書かれたものであることを傍証する、とのことである。大川教授の言われる通り、「オリジナルは1945年11月9日付ジュノー報告と同様に、フランス語のアクサン記号を欠き半ば破損状態にあるタイプライターで作成され、かつタイプ後にジュノー博士自身が書き込んだ箇所が幾つかあり、読みにくい。」136人道研究ジャーナルVol. 2, 2013