「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013(参考資料Ⅰ)赤十字国際委員会駐日代表部秘広島の原爆被害の報告1.はじめに1945年8月6日、広島に、続いて8月9日に長崎への原爆投下により、多数の死傷者と甚大な被害がもたらされた。日本政府がジュネーブの赤十字国際委員会を通して、米国政府宛に原爆投下についての抗議声明を提出したことを多数の新聞社が掲載し、筆者は駐日代表部代表のジュノー博士に、この大惨事について早期に訪問調査を実施するように提案した。連合軍最高司令部と日本政府の協力により、赤十字国際委員会の日本代表部と利益代表国によって編成された、捕虜と抑留市民を避難させる計画実行の機会をとらえて、広島視察を行うことになった。筆者は広島地区の捕虜の避難を行う者として指名され、広島での現地調査について外務省から広島市と軍当局宛ての紹介状を受領した。この件はすべて慎重な取扱いを要するものであり、調査は部外秘であり、また非公式のものであると理解する。2.訪問日1945年8月29日、筆者はスイス団代表M.ワイデンマン(Dr. M. Weidenmann)とともに乗用車で府中町から三好経由で広島へ入った。3.日誌1945年8月29日:午前11時、広島市郊外に到着。午前11時30分、県庁に到着。高野源進知事と面会。石橋副知事、太宰博特高課長、喜多島衛生課課長を紹介される。市内視察の調整を行う。午後3時、第2総軍総司令官、谷中将と面会。行方不明中の2米国人操縦士についての調査を指示する。翌日の市内視察の調整。原爆の目撃者、宍戸隊長による案内。筆者が中国で会ったハタ・マーシャル氏の安否確認が取れる。原爆投下時は宮島に滞在中。午後6時、宮島に向けて出発。一晩滞在。1945年8月30日:午前10時、宍戸隊長と市内視察。市内中心部の1仮設病院を訪問。日本赤十字の病院を訪問し、広島赤十字病院竹内院長と重藤副院長と面会。午後5時、府中町に向けて自動車で出発。4.目撃者による報告人道研究ジャーナルVol. 2, 2013137