「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013直径が最大2mある大木は根こそぎ倒れており、少なくとも80cmあるような太い枝も衝撃のせいでマッチのように折れてしまっていた。市内の至るところに壊れた車が散在していた。焼損した路面電車は脱線し、通りから少なくとも30mは飛ばされているように見えた。ある目撃者は、その電車の乗客全員が一瞬にして死亡し、その死体は座ったままもしくは、立ったりしたままであったと証言した。焼損した車両はブリキ製の箱のようにぺしゃんこにつぶれており、明らかに上から圧力がかかったことを示している。原爆が投下された8時15分は、大半の人の通勤時間であり、朝食は済ませていたため、ほぼ火鉢等の火は消えていた。にもかかわらず大火事が発生したが、そのほとんどは爆発によって放射された強力な熱線によって発生したものであった。焼失した建物群から最も近くにあった木々も完全に焦げてしまい、それも明らかに爆発熱のせいであることは明らかだった。ある人は家の倒壊後、壊れた屋根の梁の両端の割れ目から燃え始めたのを目撃している。12.人々への影響まず、被害者への目立った影響は、露出していた肌への熱、恐らく原爆投下により発せられた閃光による火傷である。病院で調査した被害者のほとんどは、顔、四肢、胸部、背中といったどれも原爆投下時に露出していた部分を火傷していた。奇妙なことに視力への影響は1件も指摘されておらず、調査報告もない。一般的に言って、男性の方が女性よりも肌をカバーしている部分が少なかったせいか火傷も酷いように思われる。もう一つの深刻な影響は、閃光であろう。多数の死者を調査したところ、はっきりとした外傷は見受けられなかった。しかし肌にはどす黒い血の斑点が見られ、髪の毛は抜け、高熱と下痢に苦しみ、それらの症状を発症した数日以内に死んでいる。ある医者は、被害者の骨髄が閃光によって被爆し、一部機能しなくなったため、白血球の再生成が出来なくなったからだと主張している。多数の死者の白血球数は600近くまで下がっていた。中心部のすぐ近くにいた被害者は全身やけどをしており、誰が誰なのか判別がつかないような状態だった。軍当局は被爆死した軍人は彼らの靴からでしか判別出来ないという。警察当局も全身被爆死した子供は見た目が一様で、親ですら見分けがつかないと話していた。私たちの視察当日もまだ死体の山を運ぶ車が火葬場に向かって走っており、街は未だに死骸の悪臭が充満していた。原爆投下後の影響についてかなりの話し合いをし、被災地はいまだ有害な放射能が出ているという意見もあった。8月6日以降、混乱状態の市街地を8日間捜索し回った大阪から来た家族には被爆者に見られた症状が出ていた(添付資料の報告を参照)。何の確証も得られてはいないが、視察団は放射能による後遺症ではないかとかなり疑いを持っている。撮影のためにフィルムが持ち込まれていたが、不幸なことにカメラは動かず、フィルムには感光しなかった。高性能のフィルムでは撮影できたが、放射能の影響を示すような不明瞭な兆候は何もなかったので、恐らくその場所での放射能物質はもはやなかったと言えるであろう。13.動物への影響被爆した動物にも男性と同じような症状が見られた。広島を離れるときに、1頭のけがをしている馬にやけどの症状が見られた。ある団員の調査で、軍当局が爆心地近くであっても川魚への影響はないと主張していたことを記録している。しかしある警察官は地中にいたみみずでさえ、閃光と熱線によって死んでしまったとそれとなくほのめかしていたが、その事実は確認できなかった。14.植物への影響爆心地内の木々は全てぽっきりと折れ、黒焦げになっていた。軍司令部が入っている市庁舎の近くに大きな蓮池があり、そのほとんどの葉は焼け焦げていた。しかし、そのような中でも新緑の葉が確認できた。同様に、爆心地のいたるところで植物が小さな緑色の斑点のように芽吹いていた。人道研究ジャーナルVol. 2, 2013139