「人道研究ジャーナル」Vol.2

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The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013警察当局は植物の成長は全て止まってしまっているわけではないが、かなりペースが落ちていると話していた。しかし、これについても確認はできなかった。丘の周囲の森は、かなり不規則ではあるが部分的に焼失しておりこれは熱線か閃光のいずれかのせいであろう。いくつかの新聞社は爆心地から6 ? 7キロ離れたところにある被害を受けた水田の写真を掲載していた。しかし視察団が立ち寄った水田には特に影響は見受けられなかった。15.その他の影響各新聞社は白色と黒色の放射性物質の異なる影響を掲載し、後者は前者より悪影響を及ぼす、とのことである。警察当局は上記現象について聞いたことがあるようではあるが、調査団が確信を得られるような情報は持っていなかった。しかし、白い服は放射線に対する防護作用があるようだ。16.医療援助市内地全ての病院の全壊と大多数の救護職員と看護師の消失により、被災者への医療援助はひどく不十分な状態であった。市政府は迅速に8つの仮設病院を設置したが、そのぞっとする衛生状態からは病院と呼ぶに値するものではなく、被災者への初期治療はほとんど行うことができていなかった。1945年8月30日に視察団は、県が管理する広島市内の中心街にあるコンクリートの廃墟に設置された堀川仮設病院を訪問した。そこは8月16日に開設され、290人を収容できる施設であった。視察した日は197人の患者が入院し、45人が亡くなり、約50人が恐らく地方にある他の場所へ運ばれていった。この病院の状況は想像を絶するものであり、患者はコンクリートの床の上にそのまま横たわっており、ごく少数の人しか藁葺きのマットを持っていなかった。ほとんどの患者には蚊帳もなく、無数のハエが傷口を覆っていた。広範囲のやけどを負った者は包帯も巻かれることなく、死期が近い状態であろうという状況を多数見た。衛生状態は最悪で、患者は自分の糞尿の上に横たわったままであった。この建物の屋根は倒壊しており、雨の日は雨水が病人や死人の上にしたたり落ちた。包帯が少ししか巻かれていない数人の患者は高齢者であることがわかったが、顔中膿だらけであった。医療器具は実質的にないに等しかった。そこは仮設病院というよりは死体安置所のようであった。不十分な資材の中で3人の助手と約20人の看護婦とともに、昼夜問わず働いているナガサキゴロウ医師には敬意を払わなければなるまい。日本赤十字社の広島赤十字病院は、爆心地から1.6キロ離れた場所にあり、上記病院よりはいくらかましな状態ではあったが、窓は全部粉々に割れており、放射線機材や輸血用の器具を含む医療機材は全て壊れてしまっていた。広島赤十字病院の75%の職員は負傷しているか、亡くなっていた。450人の看護婦の内、300人は負傷、150人は軽傷で、皆働いていた。病院の収容可能数は1,000人であるが、現在400のベッドしか埋まっていなかった。なぜもっと多くの患者を受け入れられないのか、理由を得ることはできなかった。医療品の状態については幾分ましなものの、包帯と外科用のカット綿は深刻に不足していた。病院によると血液検査はできるが、被爆時に輸血用の器具は壊れてしまったため輸血ができないとのことである。医者はまた抗生物質の不足を訴えていた。17.統計この惨事による死傷者の統計や予測数は、様々な理由で異なる。最新の人口調査では広島市には40万人いたが、戦時中であったためなだらかな人口減少を様々な指標から見てとれる。男性は兵役と労務で召集されており、子供たちは原爆投下前に疎開していた。最も信用出来る原爆投下日の人口は、25万人程度であろう。原爆投下時、たくさんの人がオフィスや工場への出勤中で通りに出ていたため、負傷者数が非常に高くなっ140人道研究ジャーナルVol. 2, 2013