「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013(参考資料Ⅱ)Dr.ジュノーの1945年11月9日付け報告愛知大学大川四郎教授訳1赤十字国際委員会ジュネーブ、スイス委員長そして皆様駐日代表部東京、1945年11月9日私がこれから御報告申し上げることは、皆様にとり奇異なことに違いないことでしょう。それに私としても、日本へ赴任してからというものはあまり報告をお送りしてはおりませんでした。もっとも、約50ページばかりの覚書をまとめました。そのうち、皆様の目にも触れることになるでしょう。実際のところ、その60%を破壊され、無秩序状態に陥り、しかも占領下の或る都市では、照明がつかず、電話はいつもつながりません。徴用することができた車はせいぜい2台に過ぎず、しかもその走行は「ひどい」という言葉を通り越した状態にあります。中国人の料理人は何の前触れもなしに仕事をやめてしまいました。或る家屋では、取るに足らない台風でもその雨戸がすっ飛んでしまいました。皆様がこれまでに勝ち取ってこられた信用を危うくしかねないとしても、皆様にその責任を負っている一代表ですから、行動力だけは備えております。英雄的精神によってとでも申しましょうか、代表部はもちろんその任務を果たしております。しかし、2年間というものは、首席を欠いたままでした。本部から派遣されたスタッフは、先ほど言及しました料理人と同じような境遇にあるわけで、比較的にましな報酬を支払っているアメリカ軍の配下に入りたくなるほどです。(現在私が使用しているタイプライターではフランス語特有の印字を欠いているので、拙文が読み辛いことと察します。平に御容赦下さい。破壊しつくされたこの都市では、現場での緊急の業務に対しては、言うなれば、大至急駆けつけなければなりません。私どもが現に取り組んでいる業務のうちでも、主要なものは以下の通りです。1.俘虜と民間人被抑留者の保護収容これは先ほど言及いたしました報告書の中でも述べていることですけれども、当代表部の代表が介入してくれたおかげで、俘虜と民間人被抑留者にとって日本での抑留がいよいよ終わるという時になって、私は、ほぼ例外なく全収容所を視察して実際に俘虜らと接見することができました。俘虜のうち、90%が赤十字国際委員会日本代表部の存在を知らないという状態でした。だからこそ、俘虜たちが故国に戻る前ではありましたが、なぜ今まで接見や差し入れをすることができなかったのかの理由を彼らにしてやることができました。そればかりか、現場での情報を収集することができました。これについては、我々にも許容された郵便により(1)、徐々に皆さんに御連絡することにします。こうした業務の全部が皆さんに伝わってはいないのが残念です。しかし、現在、ジュネーヴに向けて郵送途上にある書簡類が皆さんを納得させてくれることと思います。私自身が当初、個人的にアメリカ海軍と、そして他の代表らが占領軍当局側との間に築いた関係が役立ちました。次いで、私はスイス公使とスウェーデン政府代表者らとにこの業務への協力を要請しなければなりませんでした。という(2のは、私の下には十分な人員がおりませんでしたし、ゴルジェ氏)を無視することは政治的にも得策ではなかったからです。氏はマッカーサー将軍から1時間もの熱狂的な出迎えを受けているばかりか、将軍の署名入りの写真を贈られ、今や日本では「時の人」になっています。2.神戸、東京、横浜、各都市における外国人居留民へ実施した緊急救恤業務について以下はこの業務に関して要約したものです。8月31日、すなわち、大森と品川の俘虜収容所が撤収された翌日、私は単独でもう1度大森俘虜収容所に出かけました。撤収後はどうなっているかを実際に確かめておきたかったからです。午前9時B29の巨大な1編集者注:レターヘッドにはINTERNATIONAL RED CROSS COMMITTEEとある。146人道研究ジャーナルVol. 2, 2013