「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013それで十分なのである。」と。私どもが大過なく業務を遂行できるはずだと同准将は考えているように思われました。と同時にウィロビー准将から私は注意を喚起されたのですが、(日本人の)引揚業務は緩慢ではあるにしても一定のリズムで執り行われており、数ヶ月又は数ヵ年を要することでしょう。d)日本人について無気力、茫然自失、投げやり、無感動、こういったことに特長づけられるのが現下の日本人です。しかし、混乱を避けたいのであれば、彼らとしては正気にもどって働き出すべき時期がまもなくやってきます。GHQ側から提供された情報によると、食糧の備蓄は1946年6月まではまだ余裕があります。住居問題はまだ目処がたたない課題のままです。冬の寒さは苛酷となるでしょう。戦災を蒙った総ての町では、人々が廃墟の中でトタン又は木材で小さなバラック小屋を立てていますが、暖房は貧弱です。ストレーラー女史は、私からの要請で、韓国に向けて明日ないしは明後日に出発する予定です。アメリカ軍当局とソ連代表部と共に、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国と在韓日本人の日本への引揚両方の問題を、再検討するためです。この他の点で我々が在東京のスイス公使館から連絡を受けたこととしては、ブリュイネール氏がウラジオストックでソ連軍により強制収容所に送られたそうです。しかし、北朝鮮に駐留しているソ連軍は、ベルリンにおいてそうであるように、我々からの(赤十字国際委員会代表釈放)要請に無関心であるように私には思われます。当方からの第30、第31号電に対する貴電第2449号返電を本日11月16日に私は読み直したところです。御回答下さったことを深く感謝いたします。しかし正直に申しまして、貴信第2434号電には私は落胆しましたし、本部側の御見解が理解できませんでした。私どもは直ちに上海会議の開催準備に取りかかる予定です。私は、この会議が赤十字国際委員会の歴史において画期的な出来事になる、と確信しております。私が思うには、今日、(赤十字)国際委員会はあらゆる批判に対して応答すべきではないでしょうか。もっとも、そうすることが可能となるのは、このような弁明に必要な資料の調査収集を終えてからでしょうけれども。本当のところを申しましても、我々(赤十字国際委員会)が置かれた状況は片時も私の脳裏を離れません。今日、総ての協力者の皆さんからは援助を、そして世界からも支援を得ることが肝要であると私は信じております。私達は自らの関心を外界にも開いておき、かつ象牙の塔に閉じこもっていてはなりません。なぜならば、象牙の塔からは何らの発信もあり得ませんし、あらゆる人々に不信感を植え付けるだけだからです。ボルネオでヴィッシャー代表が(日本軍により)処刑された事件は、なおも多かれ少なかれ極秘にしておくべきです。しかし、いつの日にか事件の全容が明らかにされることでしょう。そして、極東方面で(赤十字)国際委員会がその業務を遂行するために払った犠牲が一見すると無用のようでいても、実際にはどれほどか尊いものであったかを全世界は納得してくれることでしょう。冗長になりましたのでこれでペンを置くことにします。ムーア氏が御好意で私の書簡総てを預かって下さいます。氏はこれらを在ワシントンのピート氏に託して下さるそうです。そしてピート氏のところから、最速達便でジュネーブの皆様の御手元に届くことになっています。敬具赤十字国際委員会駐日代表部首席代表ジュノー博士訳注(1)連合軍による検閲のことを指しているのか?(2)カミーユ・ゴルジェ(Camille Gorge)氏は1920年代から日本外務省との関係が深く、太平洋戦争中の駐日スイス公使として東京に滞在。中立国としての立場から、アメリカ、英国をはじめとする諸外国の日本における利益を代表した。マッカーサーから手厚く出迎えられというのはこのためである。戦時下の日本国内情勢について、ゴルジェ公使がベルンの本国政府宛に定期的に打電した電報の着信文は現在、在ベルンのスイス連邦公文書館で分類整理されている。なお、当時、これらの電報をすべてアメリカ情報当局が傍受解読しており、それらをいかに処理したか154人道研究ジャーナルVol. 2, 2013