「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 160/276

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013した。遺憾なことですが、ビルフィンガー氏はまだ当地に滞在しておりますし、事態は不快極まるものとなってしまいました。にもかかわらず、かつては代表部の所在地であり、現在も私どもの日本側協力者3名、すなわち野原夫妻、タイピストの宮下夫人が居住している家屋において、ビルフィンガー氏はほとんど毎晩夕食会を催している始末です。同居していた協力者らはそうした夕食会には加わってはおりませんでした。しかし、ビルフィンガーが離日せねばならないので、彼らは、ビルフィンガーの同意のもとに、私の指示でその家屋に残留しました。と申しますのは、今日においても東京で住居を見つけることが現実的にむつかしいからです。実際のところ、ビルフィンガー氏は、犯罪となるようなことは何一つ行ってはおりません。しかしながら、私が警告を繰り返したにもかかわらずこれを無視し、彼は敢えて自らのプライベートなビジネスを赤十字業務に混同させました。その結果として、当地では今や誰が見ても明らかなのですが、八方塞がりの状態となってしまったのです。この事件は、魅力的なビルフィンガー夫人にとって、特に気の毒であったと私は思います。しかし、全代表にとって教訓となったことですし、(赤十字業務について)十分な研修を受けてはいないところの代表総てに向けた本部からの注意勧告は、現時点では有益であろうと私は考えております。俘虜情報局:既に1ヵ月が経過しておりますが、私とストレーラー女史とは、この俘虜情報局を定期的に訪れております。その結果、私どもに次第にわかってきたこととしては、連合国軍捕虜および民間人被抑留者らに関する情報伝達についての日本側の過去現在の責任者らが、驚くほどに非能率的だということです。私どもが本部宛に打電した(連合国軍捕虜および民間人被抑留者らの)リストには、(俘虜情報局側の)「俘虜」という印とわれわれ(赤十字国際委員会駐日代表部)の印とが押されております。これらは、当局側による意図的破毀又は火災による滅失を免れ現存している公文書類の中から、幸いにも見つけ出すことができたものです。しかしながら、日本側の無条件降伏後、われわれが置かれている状況ははなはだ微妙なものとなっています。私どもが知り得たところによりますと、GHQは「復員局」と呼ばれる特別な部局を擁しています。この部局が実際に担当している任務というのは、生存、死亡あるいは行方不明中の連合国軍捕虜および民間人被抑留者に関する、総ての情報を収集することです。当初、この復員局に一人のアメリカ軍少佐がいました。この人物が、日本側俘虜情報局に対して、「今後情報はジュネーブはおろか他国政府にも伝えてはならない。GHQ復員局にのみ連絡すること。情報は復員局から然るべき筋やジュネーブにも転送するから」という命令を下したらしいのです。私どもとしては、礼を失しない形でこのような措置に抗議しました。その結果、俘虜情報局での業務は以前の状態に復帰しました。とはいえ、それでもなお私どもとしては、アメリカ軍当局の権限を侵さずに、俘虜情報局での調査業務をどこまで続行し得るか見当がつかないのです。俘虜情報局での「現在の」業務条件を注意深く検討してみたところ、私が思うには、ここで勤務する日本人職員らにはなおも4ないしは5ヵ月の業務が必要です。さもなければ、死亡した捕虜9000名の氏名リストをジュネーブには転送できないことでしょう。また私としては、我々と同じ業務につき管轄上の責任を有しているアメリカ軍当局の権限を侵さないが、私どもの代表部事務所に俘虜情報局書類を持ち出すことに決めました。そしてそれらの書類を我々の日本側協力者らと共に調査検討し、必要な情報をジュネーブの本部あてに転送する作業を急いでおります。現在私は皆様宛にこの俘虜情報局についての報告書を準備しております。この報告書により、その沿革、その情報源、そして収集されたそれらの情報がどのように処理されているか(ファイル、電報、ジュネーブからの照会に対する回答がどのように整理されているか、日本(赤)十字からの協力状況)、内部組織編成、連合国軍戦争捕虜問題に関わる通達がどうなっているか、がおわかりになることでしょう。以上申し上げたことは長期にわたる業務であり、おそらくはジュネーブでやっと完了することでしょう。しかし、私が考えるところでは、以上の業務は、1929年に制定されたジュネーブ条約を改正するためには参考となることでしょう。これは(上海)会議の前に私がジュネーブに戻りたいと望んでいる理由の一つでもあります。明らかに、アメリカ軍側としては捕虜の待遇問題について極めて厳しい調査を行っていますが、彼らの観点は我々のそれとは異なっています。私が思うには、注釈なくとも公表できるばかりか、まさに当代表部から提供されるところの情報を握っておくべきことの価値158人道研究ジャーナルVol. 2, 2013