「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 164/276

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013には、こうした各国における俘虜情報局が効率よく機能することを手助けするような比較考察した論文をまとめることができるのでは」などと思い込まないで下さい。ジュネーブ条約を改正する際には考慮に入れるに値するような、実際に為されるべき業務がまだあるのですから。結論私は時間に追われておりますので、これ以上長々と述べることはできません。報告書を終えるにあたって、僭越ではありますが、到着までには2ヵ月を要する当方からの郵便物をお受取にならないうちから、私どもの業務についてあまり急いで評価をお下しにならないように願います。日本での生活は、想像を絶するほどに、極めてむつかしいものだということをも御想像下さい。「財政」の点について申しますと、御覧のように、本部のためにも、私は少なくとも20,000スイスフランを節約いたしました。これは、ストレーラー女史およびその他の代表の人件費を補填するためにジュネーブで私に給付いただいた個人的資金を両替した結果です。公式には、代表部が必用とする費用については、目下のところ、1ドルあたり14円という為替レートでスイス公使館から我々に配分されるべき資金を受領しております。ちなみに、この為替レートでは、ほぼ14円に相当するのが4スイスフランということになります。私どもの人件費と代表部家賃を除外するとしても、将来的に当代表部が必要とする予算としては、1ヵ月あたり約10,000円あたりを上下するに違いありません。私どもの人件費はほぼ1,000ないしは1,500スイスフランにまで上昇することになるでしょう。時間的余裕がなくしかもタイピストを欠いているために、本報告書を大急ぎで仕上げざるを得なかったことにつき御海容のほど願います。敬具マルセル・ジュノー博士赤十字国際委員会駐日代表部首席添付書類:(戦争犯罪人に関して)ハーディ大佐からの書簡広島の惨状を撮影した写真類(本部倉庫内で保管のこと)銀行個人口座の収支記録)本報告書は機密扱いのこと訳注(1)原文では「1945年11月5日」とタイプされているが、広島平和記念資料館学芸部にあてたGeorges Willemin氏(Head of ICRC Archives Division)からの2002年5月16日付連絡では、「1945年12月5日が正しい」とのことである。内容的に見ても、敗戦後の日本国内の記述が生々しい「1945年11月9日付ジュノー報告」に比べると、本報告での記述は事態がひとまずは鎮静化している印象を与える。とすると、本報告は1945年11月9日以後にまとめられたものと考えるべきであろう。しかも、本報告書に添付されているアメリカ軍ハーディ大佐(巣鴨プリズン所長)からのジュノー博士宛の書簡は1945年12月2日付となっていることも、本報告書が1945年12月時点に書かれたものであることを傍証する。単純に考えても、激務のかたわら、11月5日と11月9日との間の4日間に、2通の長文報告をしたためることは不可能であろう。なお、この資料のオリジナルは1945年11月9日付ジュノー報告と同様に、フランス語のアクサン記号を欠き半ば破損状態にあるタイプライターで作成され、かつタイプ後にジュノー博士自身が書き込んだ箇所が幾つかあり、読みにくい。このため、ジュネーブの赤十字国際委員会本部ではフランス語専用のタイプライターで転写浄書したものを理事会内部で配布している。オリジナル資料とカーボン紙に転写されたものとの欄外には、「委員長、副委員長シェネヴィエール、ギャロパン氏、シャピュイサ氏、フリック夫人、162人道研究ジャーナルVol. 2, 2013