「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 17/276

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」Vol.2 の電子ブックに掲載されている17ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013危機に直面する医療現場―その実態医療を妨害する暴力に終止符を1赤十字国際委員会国際赤十字・赤新月運動が抱える深刻な悩み2009年1月7日の午後、赤十字国際委員会(ICRC)とパレスチナ赤新月社のスタッフがガザ地区のZayton近くの住宅で目にした光景は衝撃的だった。4人の子どもが母親の遺体の傍にうずくまっていたのである。その家が爆撃されたのは4日前。にもかかわらず、救急隊は犠牲者の下へ駆けつけることを許されなかった。救急隊が到着した時には12名の遺体が床に横たわっており、子どもたちは衰弱しきって立ち上がることすらできなかった。近くの検問所にいた兵士は負傷者を救うことなどせず、この凄惨な現場に駆けつけた救急隊に対しては戻るよう命じた。救急隊はその指示に従わずに生存者を助けた。それから1か月も経たないうちに、今度はスリランカ北部Vanni地方のPuthukkudilyiruppu病院が砲撃され、患者500人のうち多くが死傷した。彼らは治療を求め、戦いにより疲弊した北部で唯一機能しているこの病院に来ていたのだった。病院は二度直撃を受け、人々は避難を余儀なくされた。患者たちは、安全に飲める水がない公民館に移された。同じ年の9月、アフガニスタンのワルダク州にあるGhazi Mohammed Kahn病院に夜遅く兵士が押し入り、負傷した敵の戦闘員を探し出した。捜索に失敗した兵士らは、病院のスタッフを集めて、治療を求めて病院にやって来た敵側の兵士がいれば報告するよう命じた。医療倫理を引き合いにスタッフが拒んだところ、兵士は銃口を向けて、従わなければ殺すと言って脅した。この出来事があった後、数名のスタッフが仕事に戻ることを恐れ、職を離れた。さらに2009年12月には、ソマリアの首都モガディシオの大学で、男性が卒業式で自爆。これによって、20年の内戦による苦しみと絶望から自らの国を救おうと一生懸命に勉強してきた医学生が殺害された。この20年間で、医学専攻の卒業生を輩出したのはたった二度だけ。ソマリア人が今最も必要としている医師の命が奪われたのである。2009年に起きた4つの紛争に端を発するこれら4つの事件は、氷山の一角でしかない:医療施設や医療従事者、医療車両への攻撃、また、負傷者の医療サービスへのアクセス妨害は、世界中の紛争と情勢の変動の中で日常化してきている。そして、それは医療の専門家が職を離れ、病院が閉鎖し、予防接種キャンペーンが中止されるなどの、広範かつ二次的な結果を引き起こす。そうした連鎖によって、コミュニティ全体が十分なサービスにアクセスできない状態となる。患者、医療従事者および施設を実際に脅かしている暴力が今日の最も重要な人道問題の一つであるにもかかわらず、いまだ見過ごされている。デュナンが夢みていたもの敵味方を問わず、戦時に負傷者を支援するという考え方は、150年以上前にイタリアのソルフェリーノの血にまみれた戦場で芽生え、国際赤十字・赤新月社運動が生まれるきっかけとなった。スイスのビジネスマンだったアンリー・デュナンは、1859年6月に戦場における殺し合いを目の当たりにし、その惨状に衝撃を受け、負傷者がオーストリア、フランスのどちらに属そうと関係なく救援するために地域の人々を動かした。「Tuttifratelli」―みな兄弟―を繰り返し唱え、負傷したり瀕死の状態にある兵士4万人に人間としての良識を示した:渇きを癒すための水、傷ついた者への清潔な包帯、母や妻、娘が、息子や夫あるいは父に何が起こったのかを知るための家族への最後の言葉。1 Health care in danger: making the case, 10-08-2011 Publication Ref. 4072,関西学院大学法学部教授望月康恵訳、赤十字国際委員会駐日事務所監修人道研究ジャーナルVol. 2, 201315