「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013■差別なくすべての者を治療する世界で最も危険な地域のうちの二つ、ソマリアとパキスタンで、ICRCが支援する病院のスタッフは、患者が戦闘のいずれの当事者であるかを問わず、差別なく扱う。パキスタンの緊張した状況下では、交渉と遅延が繰り返される中、ペシャワールの病院の中立性を確実にするために一年を要した。ソマリアのメディナ病院とキーサニー病院のスタッフは、患者の氏族や政治的思想を尋ねない。2009年10月、メディナ病院の病棟に手榴弾と拳銃の絵が描かれた小冊子が投げ込まれ、スタッフに対して「敵」の治療を止めることを警告した。しかし病院長のMohammed Yusuf氏は、脅迫されても医療の方針は変わらないと言った。「医療従事者は中立の立場にあり、すべての者に対して治療を行うことを皆が理解する必要があります。それは投げ込まれた小冊子を書いた者とその親族も同様です」。医療従事者への暴力暴力とは、殺戮、誘拐、ハラスメント、脅迫、脅し、強奪、医療の任務を行っている者の逮捕を含む。医療従事者とは、医師、看護師、応急手当を行う者を含む救急隊員(paramedic)、医療施設の管理スタッフ、救急車のスタッフを含む。医療従事者は、利用可能な資材や設備をもって医療行為の水準を変えなければならず、また迅速な救命措置を必要とする患者が殺到する事態に対応するなど、武力紛争や他の暴力が伴う状況下で働く際に多くの挑戦に直面する。こうした職業上の挑戦以上に、彼らの仕事の本質に関わる重大な危険がある。イラクでは、医療ケアの専門家に対する最もひどい攻撃が繰り返されてきた。2008年にイラク保健省は、2003年以降625人以上の医療従事者が殺されたと推定した。2007年には多くの医師が恣意的な標的となり殺害された。たとえば、バグダッドにある精神病院の院長Ibrahim Mohammed Ajil氏は、帰宅中に、バイクに乗った男によって射殺された。さらに数百名の医師が殺害の脅迫を受けたり、誘拐された。これらは身代金を目的とする場合もあるが、政治的あるいは宗教上の理由による場合もある。国内の医師の半数以上が外国に逃れた、国内にとどまった医師の多くは、毎日の通勤中の危険を回避するために、勤務する病院内にとどまり生活せざるを得ない状況にある。医療従事者に対する暴力はアフガニスタンでも日常茶飯事で、彼らは脅迫やいやがらせ、攻撃にさらされている。多くの医療従事者が誘拐され、身代金目当ての場合もあるが、時には、政府系の診療所で治療を受けることで逮捕されることを恐れて、負傷した身内の兵士の治療目的で誘拐されることもある。スリランカで長く続いた戦争では、医師と医療従事者が、「敵を治療した」との理由から脅迫され殺された。2008年12月には、ヴァヴニアで働く医師の半数が、首都コロンボで投かんされた匿名の殺人脅迫状を受け取った。手紙は、Batticaolaでのシンハラ人医師の死に対する報復として、タミール人の医師の死を予告していた。地域の医療従事者が、脅迫や暴行などの襲撃にさらされる一方で、外国の援助機関のスタッフに焦点があてられる場合もある。1996年12月にチェチェンのNovye AtagiにあるICRC野戦病院で働いていた6人の外国人スタッフが事前に計画された攻撃によって、病院の構内で就寝中に至近距離で射殺された。もう一人撃たれた者がいたが、そのまま放置されたものの命は取り留めた。犯人は銃に消音機を付け、明らかに外国人スタッフ全員を殺すつもりだったが、警報機が作動するや諦めた。殺されたのは看護師4人と病院の経営者、建設技士であった。ICRCはチェチェン全土で活動を停止し、病院の運営責任をチェチェンの保健省に引き渡した。武力紛争中の医療ケアの分野で最も危険な任務は、前線に向かって負傷者に緊急救命措置を行い、彼らを安全な場所に避難させる、応急手当のスタッフと衛生兵の仕事であろう。彼らは直接の標的となり、終わりの見えない闘いの中で、銃撃戦に巻き込まれたり、地域に散在している不発弾によって負傷する危険にさらされる。人道研究ジャーナルVol. 2, 201321