「人道研究ジャーナル」Vol.2

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The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013大震災ではのべ981班(5,959人)、新潟県中越地震では164班、能登半島地震では24班、新潟県中越沖地震では47班が派遣されている。東日本大震災においては、発災当日、即座に全国の赤十字病院から55班(うち、33救護班、DMAT22班)が被災地に向けて出動、翌日も合わせると93班が出動した。このように、阪神・淡路大震災や新潟県中越地震時に比べ、多数の救護班が迅速に出動できたのは、2009年から「日赤DMAT研修会」を開催し、急性期に対応できる人材の育成を図っていたこと、初動において被災地からの派遣要請を待たずに病院長の判断で救護班派遣が可能なように日赤の内部体制を改変していたことによるとされている。派遣期間は同年9月末まで及び、阪神・淡路大震災の約2カ月間に比べ、6カ月を超える長期にわたった。終了するまでの間、全国の赤十字病院から896班・約6,500人が派遣され、岩手県、宮城県、福島県の3県を中心に87,445人を診療した。また、1班当たりの取扱い患者数は、阪神・淡路大震災39.1人、新潟県中越地震73.1人、東日本大震災97.6人と災害を経る毎に上昇している。厚生労働省によると、東日本大震災時に被災3県に派遣された救護班は、全体で2,589班(12,115人)あるが、うち日赤救護班は912班(6,541人)であり、実に全体の35%を占めていたという(5)。日赤救護班は、自己完結型の対応ができるが、長期派遣となった東日本大震災時には、栃木県支部に後方支援(ロジスティック)のための中継基地を設けた。また、石巻赤十字病院には、病院業務支援や本社から多数の事務支援がなされた。これらの派遣体制を支えるのが、近隣支部やブロック単位での日赤の支援体制である。日赤では、指定公共機関として国内救援活動を行ってきた実績があるうえ、各支部やブロック単位での防災訓練の積み重ね、研修などを行うことにより、災害発生直後から、支部間・被災病院での業務支援等が可能となっており、他団体に比べれば、組織や資機材、文書体系の規格化が図られていると言える。また、災害に立ち向かおうとする使命感が高い職員が多く、質の高い救援が可能な条件が整っていると言える。2日赤以外の医療救護班阪神・淡路大震災の教訓を受け、平成15年に東京都が急性期の外傷性疾患を対象とする東京DMATを発足させており、平成16年新潟県中越地震時に出動していた。また、平成17年に国は、災害の急性期(48時間以内)に活動できる災害派遣医療チーム日本DMAT要員の養成を開始した。日本DMATは、主に災害拠点病院の医師、看護師、管理要員等5人程度で構成され、災害時には被災現場での医療活動、広域搬送、病院支援などを行い、能登半島地震、新潟県中越沖地震、岩手・宮城内陸地震時等の出動実績がある。なお、新潟県中越沖地震や宮城・岩手内陸地震、東日本大震災では、自主出動したDMATチームが特定の災害拠点病院や空港に集中したことから、DMATは要請を基に出動する方針も出されている。また、東日本大震災時に設立された日本医師会を中心とするJMATも、派遣要請を旨として出動することになっている。(2)県レベルにおける調整:石川県、新潟県方式能登半島地震と新潟県中越沖地震時には、県が無償で派遣希望がある医療救護班を事前登録し、必要に応じてローテーションを組んで派遣依頼をし、医薬品や資機材については県から提供する方式をとった。能登半島地震時には、ノロウィルスによる感染症が発生し、「手厚く対応」する方針を石川県が出したことから、医療救護班の安定的供給が可能で信頼がおける日赤に、輪島市門前総合支所の救護所を専任で依頼し、3月25日から4月17日まで、日赤としては異例とも言える長期にわたる救護班派遣となった。また、新潟県中越沖地震時には、医療機関が不足している刈羽村にdERUを展開するなど、医療拠点を開設した。(3)東日本大震災:石巻赤十字病院における総合調整東日本大震災では、岩手、宮城、福島3県の380病院中、全壊11、一部損壊289と約8割が被災し(厚生労働省平成23年6月8日調査とりまとめ)、災害時医療及び地域医療に多大な影響を与えた。通常の医療救護班、日本DMAT・日赤DMAT、JMAT、大学医療チーム等による応援が行われたが、情報が不足し、自衛隊や消防機関との連携も不十分で、県レベル等における医療救護調整は機能不全と言える状態に陥ったところもあった(6)。一方、宮城県石巻市で被災を免れた石巻赤十字病院では、震災直後から訓練通りにトリアージエリアを設置するなどして、患者受入れの準備を整えていたが、被災沿岸部からの交通遮断と救急車の被災により、患者は38人道研究ジャーナルVol. 2, 2013