「人道研究ジャーナル」Vol.2

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The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013能登半島地震が発生したのは春先で、まだ肌寒かったことから、毛布の提供は重要なポイントのひとつだっ(2)(3た。能登半島地震や新潟県中越沖地震時における被災者調査結果)によると、発災当日に被災者が物質的に困っていたことは、水不足やトイレが使いにくいことであり、食糧が不十分は4~5割だが、寝具や毛布の不足は能登半島地震で17%、夏季に発生した新潟県中越沖地震では4%と少なく、毛布のニーズはほぼ充足できていた(図1)。ただし、能登半島地震では毛布が不足していた避難所が生じていた。津波注意報で避難した諸岡地区住民の自宅外避難率は74%と通常の避難率より高く(新潟県中越沖地震の避難所避難率は25%程度)、孤立地区からの住民も「市指定避難所」に受け入れたため、避難者数が通常の災害より多かったのである。日赤石川県支部では、市役所からの要請に上乗せして毛布を手配していたものの、その後の追加要請はなく、結果として不足が生じていた。また、支部が手配した毛布等は、協定を締結している宅配業者が市町村の指定する物資集積場所まで搬送し、それ以降は、市町村が避難所等に配送することになっており、避難所によっては過不足が発生することもありうる。地震当日、寝具・毛布が不足した地区では、避難者が自宅から寝具等を持ち出したり、避難先の近隣住民等から供出された毛布などでほぼ充足していたようである。他の災害事例でも、特に農山村部においては、不足分を周辺の住民等が被災者を救援するため、補填している例が散見されている。図1地震当日に被災者が困ったこと(新潟県中越沖地震と能登半島地震の比較)0 20 40 60 80 100%トイレが使いにくかった水道が止まり、飲み水などが不足した63.862.271.483.5よく眠れなかった電話や携帯電話が通じにくかったこの先の生活をどうしたらよいか不安だった十分な食事がとれなかった34.038.637.845.948.451.857.358.0余震が怖くて自宅に入れなかった避難した場所が不自由だった家が壊れて自宅にいられなかった10.416.523.628.535.846.5電気・ガスが止まった23.682.3テレビ・ラジオを見聞きすることができなかった22.033.7寝具や毛布が足りなかった留守宅への泥棒が心配だった家族・親戚・知人の安否が分からなかった自分や家族の持病が悪化することが心配だった道路が使えず交通機関が止まっていた空調が不十分だった(暑かった)その他何も困ったことはなかった無回答0.40.02.43.82.40.314.211.811.410.49.35.611.013.815.017.123.822.8能登半島地震(n=246)中越沖地震(n=626)(出典)日本赤十字社石川県支部「平成19(2007)年能登半島地震における救護・救援活動の記録」40人道研究ジャーナルVol. 2, 2013