「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 50/276

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013少ない情報を補うための情報収集地点(多数負傷者発生危険地点、病院・福祉施設等)を予め設定した情報モニタリングや、被害の予測及び推定が重要になる。(1)災害医療1患者数及び症状の想定地域及び災害の特性によるが、予想される被害から、どのような症状の患者がいつ頃、どれくらい生じるのか(病院に来院するか)について想定し、被災した病院における患者受け入れ態勢の整備や、救護班の編成や派遣する要員の専門職種を事前に検討できるようにすることが望まれる。表2に示すように、阪神・淡路大震災のような都市直下地震型か、新潟県中越地震のような中山間地型(特に大きな余震多発)か、その他の直下地震型か、津波災害かなどにより、死者(直接死)・負傷者比はかなり異なる。大津波災害時には、死者・重傷者に対し、軽傷者がきわめて少ない傾向が見てとれる。災害名死者・行方不明者(直接死)表2主要地震災害時における死者・負傷者数震災関連死(全死者に占める割合)重傷者(対直接死者比率)軽傷者(対直接死者比率)北海道南西沖地震230人-83人(0.36) 240人(1.04)阪神・淡路大震災5,505人919人(14.3%) 10,683人(1.94) 33,109人(6.02)新潟県中越地震17人51人(75.0%) 633人(37.2)4,172人(245.4)東日本大震災18,915人2,303人(10.9%) 694人(0.37) 5,305人(0.28)(注)東日本大震災の死者・行方不明者数は、震災関連死が含まれていないと見られる2012年5月時点のものであり、震災関連死は同9月30日時点(復興庁)、重傷者・軽傷者数は同9月11日時点(消防庁)である。阪神・淡路大震災時には、住宅の全壊・落下物等による圧死が多く、“防ぎ得た死”として座滅症候群等が注目された。また、患者の出現の仕方については、阪神・淡路大震災時には、負傷者のうち軽傷者が先に、重傷者は後から付近の主に地域病院に来院した。約7割が救急車以外の自力ないしは近所の人の車等で搬入されたが、負傷者が病院に殺到した急性期は発災1~2時間後から半日程度に限られていた。また、地域病院は非常に患者が集中したが、3次医療病院に行く患者は限られるなどの偏在が生じていた。ヘリ搬送等による後方搬送の遅れも問題となった。津波による被害が大きかった北海道南西沖地震時の奥尻島では、青苗地区の2診療所が全壊・全焼した。奥尻地区の病院の被害は軽微で被災後30分後には開院していたが、救出遅れや交通渋滞で患者の到着が遅れ、発災から約6時間後の早朝から患者が来院した。診療はほぼ翌日午前中までに終了し(発災から約14時間)、本島へ自衛隊が重傷者31名をヘリ搬送、津波で海上を漂流していて漁船に救助された人のうち重傷者については、海上保安庁の巡視船で15名が搬送された。一方、赤十字病院から深夜2時頃(発災後約4時間)出動した救護班は、悪天候のためヘリが出立せず、翌朝10時30分に奥尻島に到着した時(発災後約12時間)には、重傷者の転送や応急処置は大方終了していた。避難所となっていた青苗中学校に16時20分に救護所を開設(発災後約18時間)し、衛生管理、巡回診療を行ったが、ほとんどが内科的治療で、内科系医薬品の補給に問題を生じた。東日本大震災においては、津波で被災した病院もあったが、石巻赤十字病院など被害が軽微な病院においても同様に被災当日の来院患者は少なく(道路支障と救急車の被災)、津波からの避難遅れによる“取り残され救助者”が発生した場合、救助された患者の来院が遅れることや、外傷系重傷者は少なく、内科系患者が長時間継続すること、低体温症等の軽傷者が津波浸水域に近接する避難所に集中していることなどに配慮することが必要である。また、冬か夏かによって症状が異なることなど、被害実態と推定を組み合わせた予測ができるようにすることも課題と言えよう。さらに、阪神・淡路大震災以降、直接死以外に災害関連死が認定されるようになった。災害関連死は、ま48人道研究ジャーナルVol. 2, 2013