「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 56/276

電子ブックを開く

このページは 「人道研究ジャーナル」Vol.2 の電子ブックに掲載されている56ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013Ⅰ日本赤十字社女性救護員の歴史1女性救護員の誕生日本赤十字社が養成した看護婦は、19世紀の末以来、病院勤務だけでなく戦時・災害時に女性救護員として活動してきた。その永い歴史を概観してみよう。日本赤十字社の前身の博愛社が西南戦争中の1877年(明治10)年5月に創設され、最初の救護員(医員・看病人)が戦傷病者の救護活動を行った時は男性のみであった。しかし博愛社では女性救護員の必要性にも早くから目を向けていた。1880(明治13)年5月24日の博愛社社員総会でハインリッヒ・シーボルト(1)が外国(2の婦人の救護活動を紹介したことや、1884(明治17)年6月26日の社員総会における柴田承桂)の外国婦人の救護事業報告などが刺激になったと考えられる。すでに赤十字国際会議では、第2回会議(1869年、ベルリン)で各国赤十字社は看護婦教育を行うことを決議事項に示し、第3回会議(1884年、ジュネーブ)でも各社が平時に行う看護婦教育に関する決議事項があった。この第3回会議にオブザーバーとして出席したのが渡欧中の橋本綱常(陸軍軍医監)であり、橋本は帰国すると、救護員養成機関としての病院設立を博愛社に建議した。これを機に1886(明治19)年11月17日に博愛社病院が開院し、同年6月5日に日本政府がジュネーブ条約に加入したのに伴って、博愛社は翌年5月に日本赤十字社と改称した。その最初の社則には、戦時の傷病者救護と救護員の養成を明示した。(3)ついで1889(明治22)年6月14日に制定した「日本赤十字社看護婦養成規則」には、卒業後の一定期間内に戦時救護の必要が生じた場合には、本社の招集に応じることが義務付けられた。戦時救護は近代では避けられなかった戦争の犠牲者の苦痛を救うのが目的であり、ジュネーブ条約の主旨を受けているのは明らかである。女性救護員となるべき赤十字看護婦の養成は、1890(明治23)年4月に日本赤十字社病院で開始し、1年半の修学と2年の実務期間を経て1893年(明治26)年10月に第一回生が巣立った。その翌年には早くも戦時救護が開始するが、第一回生はすでに1891(明治24)年10月の濃尾地震(岐阜・愛知県)の際に災害救護に従事していた。第2回赤十字国際会議で、各社は災害救護にも助力する旨の決議があり(4)、実際に平時事業拡大の傾向にあったが、日本赤十字社でも発足直後に磐梯山噴火(1888年、福島県)や濃尾地震の災害救護を実施した経験から、1892(明治25)年に社則を改正して、災害救護も社業の目的に加えた。2女性救護員の戦時救護の開始1894(明治27)年8月1日の宣戦布告とともに日清戦争が開戦し、陸軍大臣からの要請により日本赤十字社は広島陸軍予備病院へ最初の救護班を派遣した。この救護班には看護婦取締1人と看護婦20人が加わり、女性救護員が初めて戦時救護に従事した。ついで東京をはじめ各地の陸軍予備病院へも女性救護員が派遣されて戦傷病者を看護し、清国人捕虜の救護も実施した。日清戦争の際の女性救護員の総数は649人(看護婦監督・取締・婦長・看護婦)であり(5)、うち4人が伝染病感染のため殉職した。ついで1900(明治33)年の北清事変では、日本赤十字社がその前年に建造した患者輸送船(病院船)の博愛丸・弘済丸に看護婦も乗船して外地から移送する戦傷病者の看護に従事した。この事変には各国連合軍が参戦したため、日本への移送患者にはフランス人をはじめ外国人が含まれていて、初の国際救援となった。北清事変の女性救護員総数は197人であった(6)。20世紀初頭の1904(明治37)年2月に開戦した日露戦争では、さらに大きな救護事業となった。内地の陸軍予備病院・海軍病院・病院船へ派遣された女性救護員の総数は2,874人となり(7)、うち39人が殉職した。この間にはロシア人捕虜の救護も行われた。従来の「看護婦養成規則」を改正して「日本赤十字社救護員養成規則」としたのは1909(明治42)年1月であり、それ以後は救護看護婦の名称を用いることとなった。日露戦争から10年後の第一次世界大戦(1914~1918年)では中国大陸の青島(ドイツ租借地)に設置した仮設病院へ、女性救護員が派遣された。ここにはドイツ人負傷者も収容され、国籍を問わない救護が実施された。さらにイギリス・フランス・ロシア各赤十字社の要請により、救護看護婦を主として組織した救護班(看54人道研究ジャーナルVol. 2, 2013