「人道研究ジャーナル」Vol.2

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013ジュノーの広島についての証言はラジオ放送や、出版物での多くの反響となった。1955年2月、ジュノー(19はラジオ・ジュネーブで放送された番組)で、原子力についての危険性について、あいまいさを排除した表現で発言している。このインタビューの中で、彼は、人類および他の動物に対する放射能に由来する遺伝的な長期にわたる変異の危険性を強調している。そして、明らかに、イギリスの作家バートランド・ラッセルの側につき、各国が原子力に関して国際的な監視機構に委ねることを要求している。議論を確実なものにするため、ジュノーはインタビューを次のように締めくくった。「いま問われているのは人類の生存の問題なのであります。」(20)1947年に発行されたフランス語圏スイスの雑誌「リ・リュストレ(L'Illustre)」(21)誌ではやがて刊行される『第三の兵士』の抜粋を掲載した記事が発行され、ジュノーの様々な活動現場での写真が紹介されている。この連載物の記事で、ジュノー博士の82歳の母親の写真が掲載され、その母親によると、「息子は牧師であった父親から隣人に対する愛という美点を引き継いでいる」(22)としている。同じページに、マルセル・ジュノーはくわえタバコで、1934年のエチオピアの草原で救急車に同乗している写真が掲載されている。もう一つの、すこしピントのずれた写真では、ジュノーはスペインの市民戦争の際、白いレインコートを着、船底の不安げな収容者たちの真ん中にいる。この写真は、ゴヤの絵画にも比喩され、スペインでジュノーが救援事業を取り進めているときの感性ともなり、後日、日の目を見ることになる法律的規範の初期の礎となり、それは、ICRCの行動哲学を進展させ、中立的な介在者としての役割を強化するものであった。続いての写真はジュノーが1940年6月の敗戦の少し後、フランスの収容者と共に撮影されたものである。次は、ドイツ軍により占領されたギリシャでのもので、そこでは非常な飢饉が蔓延していた。この写真の下にある写真では、マルセル・ジュノーとマルゲリータ・ストレーラーが日本の陸軍省内の俘虜管理部職員と打ち合わせを行っている。(*p.84の写真を参照)3.ジュノーの遺産この疲れ知らずの医師は軸足の揺らいでいる人道に対して何を成したのだろうか。大きな好奇心と、改革の確かなセンスを持ち合わせたジュノーは戦争の最前線の地に居合わせていた。試練の中で彼は啓示を存分に受けている。とりわけ、広島という殉教都市でジュノーは最初の外国人医師として、被爆者の救護に携わり、被災者に対する共感と、絶対的な自己の平静力を示している。彼は、努力を継続し、核の脅威と放射能の巨大な影響について告発を続けている。思索家デュナンに続き、ジュノーは責任ある行動のとれる人間であった。彼は現場で行動を起こし、どのような事態に遭遇してもそれに面と向かって対処する人であった。医師でありICRC代表であるマルセル・ジュノーは我々に貴重な財産を遺した。その中で卓越するのは、状況の進展及び緊急事態への新しいニーズに対処することを常に心に留める人道援助の哲学である。この救援事業の優先順位の設定には、苦痛の即時の軽減を目指すだけではなく、国際人道法を推進するための事例をもたらしているのである。マルセル・ジュノーはマーク・トウェインの名言「彼はそれが実現不可能であることを知らなかった。それ故その行動に走ったのである」を地で行ったのである。今日、マルセル・ジュノーの、紛争や危機の被災者に対するゆるぎないコミットメントは人類の宝であり、すべての人道活動に従事する男女に常にその意欲を刺激し、かつ強い動機をもたらすものである。それはダマスカスに始まり福島に至る。(注)(1) Marcel Junod, Le Troisieme Combattant, CICR, 1989, 293頁(訳注:丸山幹正(訳)『ドクター・ジュノーの戦い増補版』(勁草書房、1991年)(2) Marcel Junod,同書317頁(3) Benoit Junod, Marcel Junod in Temoin d'Hiroshima, Dr. Marcl Junod, Commune de Jussy 2004, 19頁。(訳注:ブノワ・ジュノー著「マルセル・ジュノー―一人の『第三の兵士』として」、愛知大学法経論集第166号(2004年12月15日発行)人道研究ジャーナルVol. 2, 201389