「人道研究ジャーナル」Vol.2

「人道研究ジャーナル」Vol.2 page 94/276

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「人道研究ジャーナル」Vol.2

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 2, 2013に思い出すようなものではなく、赤十字運動の絶え間ない大きな動きの中で、引っかかりながら、そのまま何もせずに過ごしてきてしまった。ここ数年の核兵器廃絶をめぐる動きとの関係で、少しこの問題に真面目に取り組んで見ようかと思ったのはつい最近のことである。Dr.ジュノーの幻の原爆被災者救援計画Dr.ジュノーがヒロシマの惨状を見て、ICRC独自の救援として、診療所の開設を考えているようだという記事は、1945年9月10日付けの中国新聞の2面に掲載されている。しかし、記事本文の彼のコメントには、原爆を二度と使用しないこと、当面の被爆者に救護の手を延べるとともに、原爆の性能、被害範囲、被爆者への医療対策の調査研究をし、今後の場合に資することが使命である、とあるにすぎない。しかも、この記事の見出しは「市民に世界の同情・万国赤十字社が診療所を開設か?」というものであった。私はここ数年直接ジュネーブを訪問したり、メール交換などでICRCアーカイブスのファブリツィオ・ベンシ(Fabrizio Bensi)と連絡をとってきた。その過程で入手したのが1945年11月5日付けのDr.ジュノーからICRC委員長宛ての報告であった(13)。残念ながら、Dr.ジュノーが取りまとめた「広島視察報告書」のような詳細なものはICRCのアーカイブスには保管されていないとのことであった。その代わりに、Dr.ジュノーからの依頼で彼の前に広島入りし、惨状を打電してきたフリッツ・W.ビルフィンガ―(Fritz W.(14)Bilfinger)の1945年10月24日付けの英文の報告が同封されていた。1945年8月30日付けの鈴木九万外務省在敵国居(15)留民関係事務室長経由でDr.ジュノー宛てに送られた電報で、ビルフィンガ―は「30日広島来訪、現状には唯唖然とす。市の80%は消滅、病院は全て壊滅または大破壊。仮設病院二ヵ所を視察、筆舌に尽くし難し。被爆威力は不可思議なほど激烈。外見上回復しつつあると見える犠牲者が、白血球の破壊、その他の体内の損傷のため突然致命的な再発を起こし、死亡しており、その数多大。周辺の仮設病院にいる推定10万を超す負傷者には包帯用資材、薬品が欠乏して悲惨。市の中心部への救援物資の早急の空中投下につき連合軍最高司令部に考慮方正式に要請されたし。大量の包帯、外科用脱脂綿、火傷用軟膏、サルファ剤、血漿と輸血用具を要請する。即刻行動に移られたい。さらに医療視察団の派遣も必要。報告は続ける。受信確認乞う。」(16)としている。この電報と外務省から入手した写真を持って、Dr.ジュノーはマッカーサー将軍が東京の第一生命ビルに移る前(17に司令部を置いていた横浜商工会議所)に出向き、4人の将官に面会を申し込んでいる。この電報と写真をマッカーサーに見せた結果、9月7日になって、アメリカ軍は直接救援活動はできないが、15トンの医療資機材を赤十字に提供することになった、とDr.ジュノーは書いている(18)。Dr.ジュノーの報告から読み取れること私がここで問題としている記述は、Dr.ジュノー(19の11月5日付けの報告)にあった。広島についてのDr.ジュノーの報告については、愛知大学の大川四郎教授訳を本誌に掲載するご許可を頂いたので、巻末の参考資料Ⅲを参照されたい。この報告で注目すべき点は少なくとも8点ある。まず第1は、Dr.ジュノーの最大関心事は原子爆弾の影響であること、第2にICRCに対する援助計画内容の変更・削除をGHQのサムス大佐から求められたこと、第3に日本連絡事務委員会が広島市当局から求められたものは診療所ではなく、病院に必要とされる仮設住宅と板ガラスであり、日本側はこれらのニーズに対処可能であるとしたこと、第4にサムス大佐はアメリカ軍の兵舎を提供できると提案したが、日本側に辞退されたと言ったこと、第5に日本赤十字社及び外務省両者とも外国からの援助を必要としていると強く感じており、日本連絡事務委員会の回答に驚きをもっていたこと、第6に、占領下にある国では占領軍当局側からの合意を取り付けずして何かしら行動を企てるべきではないということが原則であるとDr.ジュノーは考えていたこと、第7に、Dr.ジュノーが理解しているアメリカ軍側の方針というのは、「日本帝国政府が自前の資材を用いてなし得ることを総て講ずるまでは日本側非戦闘員への救援策としては何もなすべきではない」というものであること、第8に、したがって、占領当局の完全な同意なしに何らかの行動を起こすのは自重するべきであるというDr.ジュノーの立場から、これ以上は固執しなかったということ、である。このDr.ジュノーの報告を読む限り、自分の思いに突き動かされて、大佐古のペンが滑ってしまったの92人道研究ジャーナルVol. 2, 2013