ブックタイトル人道ジャーナル第3号

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概要

人道ジャーナル第3号

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 3, 2014そう考えると、今日の「NHK海外たすけあい」は、どちらかというと開発指向の援助キャンペーンとして時代の先きどりというか、そこに視点を当てたというのは意義があったと思います。ネパールの話になりますと、青少年課長時代にネパール支援プログラムに携わりました。実は青少年課長から水瓶を日本に輸入して、全国のJRC加盟校に配る運動もしました。ネパールの子どもたちが日常的にどういう大変さを抱えているかということを水汲みをして体で実際に感じるという、教育活動にも生かせるような素材がこのキャンペーンには、そしてネパールには一杯あったということだろうと思います。をやる前が開発協力課長だったので、NHKたすけあい資金で行う事業にも携わっていたわけですが、それ「赤十字シンポジウム」の開催にいたる経緯を今度は青少年赤十字という立場で事業に参加することになったわけです。この事業には幾つかの要素があって、一つは、日本人によるネパールでの開発援助という青少年に対する教育的効果が極めて高い事業であったということ。その中身がすごく分かり易い事業ですよね。それからオペレーションをやっているネパールという国の状況があったと思います。その後、毛沢東主義の台頭とかで色々な治安問題がありましたけれど、私の印象では、ネパールというのは比較的安定していて、国民性も非常に穏やかで、バングラデシュなどで感じるストレスは少ないという感じもあり、そういうところへ日本の17~18歳の青少年を派遣するのには、まず治安の問題からいってもとても良かったということがあります。それも、この事業が発展する要素になったのかなと思います。それとネパール人の国民性ですね。先ほど東浦さんがちょっとおっしゃいましたが、子どもたち、学校の先生たち、現地の人たちが自然流下式の溝を掘ったりしたことで、人件費が浮いたということでしょうか。東浦:井上さんから開発教育的な話が出たと思うんですけれども、キャンペーンを張るということと開発教育的な、NHKさんと日赤が組むということの意味合いということ、ここのところが出てくるのが実は赤十字シンポジウムなのかなと思うわけなんです。赤十字シンポジウム、今年の会で27回に当たるのですね。「海外たすけあい」が今年31回なので、シンポジウムは、若干遅れて始まった。その経緯も特別なものがあるのです。実は1987年にスイスの銀行が125周年を祝うことを支店のある各国でやりたい。電通に記念事業案を出すように話を持っていった。電通がいろいろな案を出すけれども全部断られて、どれも取ってくれない。電通の担当者が近衛のところに相談に来られた。スイスというと、一つは赤十字。赤十字に知恵がないかということだったんですね。そこで近衛から出しましたのが、1977年にジュネーブ4条約を追加する二つの議定書ができたが、これを日本政府は全く批准するということを考えてくれない。NHKさんと朝日東浦:そうそう、そういうことです。新聞のほうに話を持ち込んでシンポジウムみたいなこ井上:それと、ネパールは青少年赤十字が非常に発とをやったらどうなんだというような提案がなされま達していて、山の上の学校なんかにも、歩いて4時間ぐらいかかって行きますと、教室にアンリ・デュナンの肖像が掲げてある。青少年赤十字の加盟校がちゃんとあって、そこの学校を拠点に村に井戸を作ったりしていた。そういう意味では「NHK海外たすけあい」にプラスして、学校で取り組めるキャンペーンとして一円玉募金を実施し、ネパールに井戸を掘る飲料水供給、保健衛生事業を支えるという学校を舞台にした活動の素地があった。こういう教育的なツールで開発援助もできるというパッケージ事業みたいなのが見事にここで成立したのだと思います。とてもまれに見る、ある意味で成功事例の一つかなという具合に感じています。この事業で学生たちがよく育ちましたし、ネパールした。いまでも覚えていますけれども、スイスの銀行から注文をつけられたのは赤十字とやるということは非常に結構なんだけれども、一つはソマルガというその当時の赤十字国際委員会の委員長をジュネーブから連れてくる。日赤のほうは、皇室の方にご臨席をおねがいしてもらいたい。当時の小池副社長に随行して、東宮職に伺って、現皇后陛下、当時は皇太子妃殿下にお願いをした。妃殿下だけではなくて皇太子殿下もご自分も出たいというお話になった。そこで、両殿下をお迎えして、プレスセンターでレセプションをして、プロトコールを担当させられたという記憶があります。その後朝日新聞関連のシンポジウムを実施し、その翌日は、ニッショーホールで120人道研究ジャーナルVol. 3, 2014