ブックタイトル人道ジャーナル第3号

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概要

人道ジャーナル第3号

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 3, 2014丸の下に、軍の「赤一字」を置いた「紅丸一(べにまるいち)」であった。条約への加盟を働き掛けられたことは、成果といえるものがない岩倉使節団にとって、さぞかし嬉しいことだったに違いないが、モワニエらとの会談はあくまでも非公式なものであった。外国との交戦の目的がなく、「赤十字」の標章が議会からも容易に受け入れられない状況にあって、彼らが、ジュネーブ条約と赤十字について、このように熱心に勉強していたということは、いささか公表を憚られることであったのではないかと考えられる。岩倉使節団にモワニエから手交された赤十字の刊行物の所在は確認されていない。使節団が持ち帰った書籍などは皇居内の倉庫に保管されていたが、その倉庫が焼失したということであるので、その際に灰燼に帰したのかもしれない。博愛社(のちの日本赤十字社)の設立に岩倉と伊藤が果たした役割西南戦争が勃発すると皇太后と皇后は綿撒糸(ガーゼ)、それに「英吉利リント」(ネル素材のようなものでできた布で、湿布薬や皮膚炎の薬をこの布に塗りつけ、皮膚に貼るためのものだと考えられる)、さらに白木綿、ぶどう酒、煙草などを下賜され、負傷者救護に手を尽くすようにいわれている。明治10(1877)年3月18日に、太政大臣三条実美と右大臣岩倉具視は、華族に対して檄文を送っている。クリミア戦争の時のロシア皇后と並んで「英国の婦人某氏」として、フローレンス・ナイチンゲールの行動を引き合いに出して、天皇の近くにいるものとして華族は徒食している時ではなく、衆に先んじて金品を送り、国恩に報ずるべきであると提案している。両人は大蔵省お雇いのアレキサンダー・シーボルトに、外国の貴族社会の概略を質問し、その報告を別紙として配布している。シーボルトが報告しているのはプロイセンのヨハネ騎士団、イタリアのマルタ騎士団、それにオーストリアの「ドイチーリットル」とあるが、このオーストリアの団体のことは定かで(22はないが、オーストリア愛国救護社)のことと推察される。この3団体とも「帝国の難ニ際シ戦争アルニ方テ其死傷将卒ヲ救助看護スル」ことを目的としていると書いている。特に、オーストリアの組織の長官は親王ウィルヘルムで、入社しようとする者はまず長官の許可をえて、誓約書を提出する。社員は、年に12円を拠出する。非常戦時にあっては、別に協力拠出し、戦地で活動するか病院で活動するかは本人次第だが、たいてい男は戦地に赴き、女は病院で活動する、と報告している(23)。後年、当時の日本赤十字社副社長大給恒は、博愛社設立に岩倉が果たした役割を語っている(24)。西南の戦役の際に、岩倉公は華族においては傍観しているのは忍びない、応分の働きをして国家に対する義務を尽くすべしとのことであった。ヨーロッパには赤十字社というものがあって、傷病者をあわれむということを聞いていたので、岩倉公を訪ねて、一大私立病院をたてて傷病者を救護することにしてはいかがかと申し入れた。それから10日ばかりたって岩倉公から、佐野常民からも同じ話があったので、両人でよく話し合ってはどうかと言われた、とある。佐野と大給の2人は、救護団体による戦争、紛争時の傷病者救護の必要性を痛感し、ヨーロッパで行われている赤十字と同様の救護団体をつくろうということになり、明治10(1877)年4月6日、両人を発起人として博愛社の規則を定め、岩倉右大臣宛てに救護団体「博愛社」の設立を願い出た。翌日の7日に佐野は元老院幹事と岩倉右大臣に宛てて「戦地出張賜暇願」を提出している。戦地救護のための結社活動を行ううえで、社員を統率する必要があるので、往復を除き50日間の休暇を賜りたいというのである(25)。この休暇願書に対しての諾否は出されぬまま、10日に「御用有之九州筋へ被差遣候事」という辞令が出されている(26)。博愛社設立についての回答を聞くこともなく、12日に佐野は九州へ向けて出発した。この時の博愛社設立の願いは、4月23日付けで却下された。4月19日に陸軍卿山県有朋が九州へ赴いたため、陸軍卿代理の西郷従道から岩倉宛に「議官佐野常民大給恒博愛社設立出願之儀御下問ニ付意見上申」が出された。その中で、今般の戦いは国内のことで他国との戦いではないこと、また軍事病院や医官、看病人卒は適当に整い、治療には差し支えないから、新たに救済の人員が戦地へ派遣されても、混雑を招く恐れがある。捕虜の傷者も治療している。結社は良しとしても、予め平時に準備しておかねば実際の要をなさないとも述べている。人道研究ジャーナルVol. 3, 2014 23