ブックタイトル人道ジャーナル第3号

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概要

人道ジャーナル第3号

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 3, 2014我々ヨーロッパ人の近代的な考え方にまだなじんでするための篤志活動を呼びかける前に、多大の努力はいないからである。更には、彼らが受けた教育にを払って、日本軍部内で、この衛生業務自体を妥当より、慈善事業にはほとんどなじんでいないからでな水準にまで立ち上げねばならないこと、を認識しもある。我々ヨーロッパ人の社会状態がまずもってたのであった。しかし、閣下らは、日本への帰国後これら諸民族を惹きつけることができるのは、そのに、我々がこれらの日本軍内部での諸改革に関与すような点にあるのではない。これまでの(赤十字)ることをお許し下さったばかりか、この赤十字活動運動拡大実績は、これらの諸民族にとって、道徳的をめぐり、引き続き連絡をとることを我々に認めてにも大きな転換を意味するからである。ところで、下さったのである。この種の実績は、にわかに得られたものではない。どうしても多くの歳月を経なければ、これらの実績残念ながら、この記事の記載には日時や場所が明記を生み出すことができない。しかしながら、まさしされていないが、岩倉使節団一行の全行程を記録したく、似たような変化には時間を要するがゆえに、変久米邦武の「特命全権大使米欧回覧実記」には、1873化を引き起こすためには、あらゆる契機を見逃すべ年(明治6年)7月1日に「午後ヨリ某氏ノ別荘ニ至きではない。目的がかけ離れていれば離れているほル」という記載がある。この某氏の別荘こそ、モワニど、ますますもって、急いで取り掛かるにこしたこエの別荘と考えられる。とはない。即席はおろか将来の成果に浮かれることそれにしても、気になるのが「7月1日午後」の明なく、我々がまずもってやらねばならないことは、記の仕方である。米欧回覧実記では使節団一行の全行ヨーロッパ文明に新たな門戸が開かれている所で、程を久米邦武が詳細に書き込んでいる印象がある。現博愛精神を拡げていくことである。=中略=以上のに、同日午前中の時計工場視察も、かなり事細かに記ような諸観点から、国際委員会は、日本からの大使載されているにもかかわらず、午後はたった1行で、節団が目下スイスに滞在中であることを好機ととらしかも会った人物も「某氏」と名前を伏せている。こえ、極東から来訪した同使節団に、赤十字活動を紹こには、「あとで会見したことが判明しては困る」と介することとした。同国際委員会からの要望によいった、誰かの指示があったのか、それとも何らかのり、連邦大統領セレゾール閣下は、同使節団がベル意図があったか、と疑いたくなるような表現方法になン滞在中に、赤十字活動について言及することを望っている。まれた。そして、同使節団は滞在を延長してジュネーブにまで来訪した。そこで、国際委員会は、この使節団出発前の2つの出来事機会を逃すことなく、同委員会の詳細を、日本使節岩倉はモワニエと会談した際に、「日本もジュネー団に紹介説明したのであった。ブ条約に加盟を」と促され、なぜ「時期尚早」と返答幸いにも、日本使節団の随員らは、この上もなくしたのであろうか。確かに日本は明治に入ったばかり好意的に我々の話に耳を傾けてくれたばかりか、で、国民もジュネーブ条約や赤十字の知識が希薄だっ我々の熱意に実に共感を示すぐらいにまで、進歩的たと思うが、実は岩倉使節団が出発する前に2つの出な者もいたのである。団長の全権大使正二位岩倉具来事が起こっていた。その1つが、1872年(明治5年)視閣下、副使の従四位伊藤博文閣下は、立て続けにの軍医制度の制定にあったと思われる。為した何度かの会談で我々が為した説明に対して、1871年(明治4年)8月に松本順(長崎でオランダ真摯に傾聴して下さり、我々の刊行物を御嘉納下さ医師のヨハネス・レイディウス・カタリヌス・ポンった。光栄にも閣下らが我々に投げかけて下さったペ・ファン・メールデルフォールトから医学の知識と質問の数々からは、赤十字思想の種を何とかして日技術を学ぶ。良順から順に改名、初代陸軍軍医総監)本へ持ち帰りたいという熱い思いがうかがえた。閣が軍医頭に任命され、軍医制度制定に向けての準備中下らは、日本人としては以下のことを初めて認識さに、軍医寮旗の選定を命じられた。その時、松本はれたことになる。すなわち、第一には、日本国民自「赤十字」を書いて提出したところ、元老院議官たち体が同条約の遵守にまだ慣れていないかぎりでは、の問題となった。というのも「日本陸軍軍医部の標旗日本政府がジュネーブ条約に加盟するには、時期尚として耶蘇教(やそきょう=キリスト教のこと)の印早であること、第二には、公的な軍衛生業務を補完を選定する松本順は日本陸軍を愚弄している者で実に32人道研究ジャーナルVol. 3, 2014