ブックタイトル人道ジャーナル第3号

ページ
45/288

このページは 人道ジャーナル第3号 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

人道ジャーナル第3号

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 3, 2014が、(人道)法とICRCの適切な知識、理解、認識を持つ」環境を作り出していくことが重要だとしている。こうした環境創出のツールこそまさに人道法普及の営みである。そもそも赤十字はハーグ法(戦闘員の行為規範)ではなくジュネーブ法(医療要員ないし非戦闘員の保護)に起源をもつことから、軍隊における普及とは対照的に、戦場における人道の達成が強調されるのはある意味必然でもある。・教育としての普及大学や青少年に対する教育として人道法が活用される場面は、専ら赤十字により率先されており、その意味で、人道法教育もまた赤十字における普及の文脈に位置する。しかし教育としての人道法普及においては、赤十字の諸原則に由来する「苦痛の軽減」とはまた別の側面も併せ持つことに着目したい。紙幅の関係上、ここではICRCが13歳から18歳の青少年向けに作成した人道法学習教材『人道法の探究(Exploring HumanitarianLaw、以下「EHL」)』を取り上げてみたい。EHLは人道法が問題となるテーマを包括的に盛り込んだ5つの講師用の指導案(小冊子)で構成され、順を追って学習を進めることで人道法の全体像を把握できるように作成されている。特徴としては、人道法の知識を直截に教え込むようなことはせず、「第三者のジレンマ」や「人道的行動」といった人道的価値観への考察と理解を促す概念に焦点をあて、教師との対話や生徒間のグループワークといった双方向の教育手法の中で人道法の知識を習得していく点が挙げられる。言い換えれば、まずもって現実として世界が抱える問題(その現実における敵味方の誰何という「正義」ではない「人道」的な問題)を理解、考察し、それへの対処策の一つとして人道法が存在するという「必要から法が生じる」観点を重視した帰納法的なアプローチである。EHLは2007年の時点で40か国語以上の言語に翻訳されており、最終的には国の公式カリキュラムに組み込まれることを目的としている。したがって、EHLの実施の担い手は学校の教員であり、教育活動の一環として行われることを見据えている。必然的にEHLが定める学習目標も、人道法普及といった側面は必ずしも強調されていない。人道法の学習がいかに教育的に貢献しうるのかという点について、EHLは例えば「メディア報道や暴力を軽視したエンターテイメントなどにこれまで以上に多くの若者が晒されている現状において、武力紛争を経験していない国であっても、人道法の学習は関連深く有意義なものになる」とし、その学習のゴールとして「(紛争時に限らない)生命と人間の尊厳の尊重の必要性の理解」「社会的弱者に対する支援活動への参画」といった点を挙げている。「探究」という名のとおり、EHLは答え(解決策)を安易に提示しない。EHL全体の学習には45分相当の授業を36コマ相当費やすことからも、教育的効果の獲得には長い時間を要することが前提とされている。これは上述のICRCの予防的アプローチにも言えることだが、教育の文脈においては人道法のルールそのものの実際的理解よりも、その根底にある生命や人間の尊厳の尊重といった「人道的価値観」が生徒の人格形成に寄与する点が強調されている。普及の行方~「なぜ普及するのか?」を乗り越えて~本稿は普及に関する先行研究や現実の普及の実践例に十分触れることができておらず、より幅広い理論的、実証的検証の必要があることは言を俟たない。また、上に取りあげた3つの文脈、そして、それぞれにおける普及の担い手の観点も限られたものであり、これらの考察のみで普及の行方の全容を見ることはできない。以下はそうした戒めの下の一応の考察結果でしかない。普及の文脈に関わらず改めて問い直してみたいのだが、「なぜ‐とりわけ武力紛争が存在しない国に生きる‐我々は人道法の普及に携わり、また時にその対象とならなければならないのか。人道法の問題は法律の専門家に任せておけば良いのではないか」。ある法哲学者はこれに近似する問い「何故我々は自分自身で政治という仕事の一部を負担し、正義への無限の関与を遂行しなくてはならないのか」に対して、次のように言う。正義をむしろ我々の行為によって構築され、それなしでは存続も存在もできないものと理解す人道研究ジャーナルVol. 3, 2014 43