ブックタイトル人道ジャーナル第3号

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概要

人道ジャーナル第3号

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 3, 2014日本人配偶者(日本人妻)故郷訪問事業における人道をめぐる諸問題について日本赤十字九州国際看護大学五十嵐清はじめにいうまでもなく赤十字活動を実施するうえでの重要な行動指針のひとつは、「国際赤十字、赤新月運動基本原則」(1)であります。しかしながら、紛争下での赤十字人道支援など、ジュネーブ諸条約等が適用になる場合を除くと、多くの場合基本原則に密接に結びついた活動は政治的に特別の事情を持ったプログラムに限定されます。この意味で、1997年(平成9年)から2002年(平成14年)8月までの間に実施された計3回にわたる「日本人配偶者故郷訪問事業」とそれに伴う日朝赤十字会談等の協議は、未だ国交がない2つの国、すなわち日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の赤十字社(会)及び政府間で実施された、政治的にも特別な事情を背景とした事業でした。本稿は、この事業の実施を通じて「人道」を巡りどのような課題(「国籍問題」など)が浮び上がり、ま(2た、日本赤十字社がその課題にどのように対応したのかを、当時の担当者)の立場から考察したものであります。日朝赤十字社(会)間の協力関係前述したとおり、日本と北朝鮮との間には、戦後68年を経た現在もなお国交がないという極めて不自然な関係が続いています。両国間では、いわゆるミサイル発射、核兵器、拉致問題等々、さまざまな政治問題が山積し、現在も国交正常化への途は遅々として進んでいないのが実情です。一方で、こうした政治的に困難な状況下にもかかわらず日朝の両赤十字社(会)間では半世紀を超えて長い協力関係を築いてきました。まずは、問題の背景を知る意味でもこれまでの両国赤十字社(会)の協力関係について、その概略を見てゆきたいと思います。(3戦後、最初に取り組んだ大きな事業は、北朝鮮に残った日本人の帰還事業)です。1956年(昭和31年)、日赤の葛西副社長(当時)が朝鮮赤十字会と北朝鮮のピョンヤンで日本人の引き上げに関する協議を行い、その結果36名の日本人が無事日本へ帰国しました。一方で、第二次世界大戦直後の段階で、日本には200万人近くの朝鮮半島出身者が居住していました。その中には、戦時中徴用され日本へ渡った100万人に上る方々含まれています。終戦直後の混乱期には、そのうちの7割にあたる朝鮮半島出身者が、日本人が外地から引き揚げた後の帰り船などを利用して朝鮮半島に戻っていきました。その後も昭和30年代前半の時点で、約56万人の在日朝鮮人の方々が日本国内に居住し、そのなかには、日本と国交のない北朝鮮への帰国を希望する人々がいました。これらの人々から北朝鮮への帰還を強く求める声があがり、その声は日本政府にも、日本赤十字社にも寄せられました。こうした状況のもと、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業が両国赤十字間で協議され、1959年(昭和34年)から1984年(昭和59年)までの間、足掛け約20年にわたり実施され、数多くの人々が北朝鮮へ帰還しました。その間、両赤十字社(会)は、上記邦人の引き揚げ事業や帰還事業のほか、台風を避けての緊急避難や海難(4)事故の際の連絡、さらに海上で遭難した遺体の送還やハイジャック事件での人道的な対応等に関し、政府に代わる唯一の窓口として重要な役割を果たして来ました。また、近年では1995年(平成7年)1月の阪神・淡路大震災の際に、朝鮮赤十字会から2,000万円が、そして、2011年(平成23年)3月の東日本大震災の時には、10万ドル(809万円)がそれぞれ救援金として日本54人道研究ジャーナルVol. 3, 2014