ブックタイトル人道ジャーナル第3号

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概要

人道ジャーナル第3号

The Journal of Humanitarian Studies Vol. 3, 2014終わりに「隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって実は『自然な状態』ではない。敵意がむき出しというのではないが、いつも『敵意で脅かされている』のが自然な状態であって、だからこそ、平和を根付かせるためにあらゆる努力を続けなくてはならない」―イマヌエル・カント著『Zum Ewigen Frieden』(永遠の平和のために)1795年からカントが言うように、隣人が平和に暮らすためには平和へのあらゆる努力の継続が重要です。赤十字は赤十字の立場で、困難な状況下、否、難しい状況であればこそ絶え間のない努力が必要になってくるのではないでしょうか。これまで述べてきた日朝の政治状況下では、赤十字がなしえることには、おのずから限られるでしょうが、政治的立場や意見の違いを超えて多くの人々が理解し、「人道的な価値観」を共有できる赤十字事業を一つの取っ掛かりにして、問題解決に迫る努力を今後も絶え間なく続けてゆく必要をこれまで述べてきた事業を通じて強く感じました。(1)1965年(昭和40年)にオーストリアのウィーンで開催された第20回赤十字国際会議において、人道、公平、中立、独立など7つの原則が宣言され、その後1986年(昭和61年)にジュネーブで開催された第25回赤十字国際会議で国際赤十字・赤新月運動基本原則宣言」と修正されています。(2)本稿の筆者は当時日本赤十字社本社の事業局国際部国際救援課長の職にあり、当時、日朝赤十字間で行われたすべての会議、協議に出席していました。(3)終戦後の昭和21年の総司令部とソ連代表との協定により北朝鮮を含むソ連地区(大連、千島、樺太、北朝鮮、シベリア等を含む)からの邦人引揚げは昭和25年4月までに130万8602人が引き揚げ、31万余人が残留していました。(日本赤十字社社史稿第6巻)(4)1970年3月31日、日本赤軍のよる日航機「よど号」のハイジャック事件が起きた時に、よど号の乗員、乗客の安全確保を巡って日朝赤十字の連絡窓口となったのが、日朝赤十字会談の双方の代表であったのが若き日の日本赤十字社の近衛副社長(当時)と朝鮮赤十字会のリ・ソンホ会長代理でした。奇しくも、両代表はこのことを一連の会談を通じて互いに知ることとなりました。(5)日本赤十字社は国際赤十字・赤新月社連盟の救援アピールにこたえて、朝鮮赤十字会が行う救援活動の医薬品購入費等に、1995年(連盟第1次アピール)、96年(連盟第2・3次アピール)と総額2億4,300万円を支援し、さらに1998年までに総額3億8,700万円の資金援助を実施しました。(6)帰還事業では居住地選択の自由と自由意志によるものであることは、朝鮮赤十字会との帰還協定書(昭和43年8月)の冒頭に明確に規定されています。(7)16歳未満の子供たちが帰還を希望するかどうかは、その親権者または後見人、それが明らかでないときは扶養者の意思によるとされていました。(8)当初は日本人配偶者の故郷訪問事業、安否調査が主に議論されましたが、回を重ねるうちにその他の人道的課題へと議題が拡大していきました。(9)日赤から朝赤へ依頼した安否調査件数は75年~90年までの依頼分212件、90年代以降2002年8月までの分47件(いわゆる拉致被害者を含む)、一方朝赤から日赤への安否調査件数は2000年3月108件、同年7月151件、2002年4月51件でした。(10)大きな違いは、今回の日朝赤十字協議の背景に、いわゆる拉致問題(赤十字間では、あくまで原因を「拉致」と特定するのではなく政治的な対立に巻き込まれない立場から「行方不明者」の調査という立場で臨んでいました)等の政治問題が大きく横たわっていたことが一つの大きな要因と考えられます。(11)1952年4月28日発行のサンフランシスコ平和条約により、朝鮮戸籍を有する者(朝鮮人との婚姻により朝鮮戸籍となった日本人配偶者を含む)は、日本国籍を失うこことされた。(12)その後、2000年(平成12年)9月の実施された第3回故郷訪問事業には第2回で対象外とされた1名の方が加わることになりました。(13)昭和55年5月7日の衆議院法務員会で当時の法務省入国管理局長の小杉照夫氏の答弁では、「現時点でいわゆる日本人妻と推定される者の数は千八百二十八名ということに相なっております」と報告しているので、日本赤十字社の資料から推定した数字と若干の差異があります。(14)この名簿には、未帰還者(51名)のほか、戦時死亡宣告済者(1388名)が含まれており、1997年(平成9年)9月・12月の第1回、第2回の赤十字会談の折に、日本側から問題提起を行い関連の名簿を北朝鮮側に提出し、再度2002年(平成14年)8月の第6回日朝赤十字会談でも関連資料を再提出しています。人道研究ジャーナルVol. 3, 2014 59