ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015赤十字と日本-岩倉使節団から敗戦まで大川四郎1今年2014年は、日本スイス国交樹立150周年と、ジュネーヴ条約成立150周年にあたる。「赤十字と日本」(1)と題した本稿では、岩倉使節団による欧米使節から第二次世界大戦での敗戦を迎えるまで、赤十字と日本との遭遇を、概観する。以下、「Ⅰ.日本と赤十字」、「Ⅱ.ジュネーヴ条約批准後の日本における赤十字活動」、「Ⅲ.第二次世界大戦中の日本国内における赤十字活動」の順に、論じていく。「Ⅰ.日本と赤十字」1859年11月、北イタリアのソルフェリーノで、オーストリア軍とイタリア軍が激しい戦火を交えた。両軍に、多くの死傷者が出た。その場に居合わせたジュネーヴ出身の実業家アンリ・デュナンは、地元民らと共に負傷者の救護を始めた。ジュネーヴに戻ると、その時の見聞を『ソルフェリーノの思い出』という書物にまとめた。そして、この書物の中で、「戦火の最中にあっても、負傷者を救護し合う組織を国際的に作るべきではないか」と呼びかけた。これに共鳴した人々の協力を得て、デュナンらがジュネーヴを拠点に始めたのが、赤十字運動である。この運動は国際的広がりを見せた。その結果、1864年にジュネーヴ条約がヨーロッパで調印され、赤十字国際委員会(以下、CICR=Comite internationl de la Croix-Rouge)が発足し、欧米諸国ごとに赤十字社が設立された。つとに知られているのは、1863年のパリ万博、1873年のウィーン万博で佐野常民が赤十字の展示を視察したことである。しかし、日本と赤十字との出会いはこれだけではない。1873年6月末から7月中旬にかけて、西欧歴訪中の岩倉使節団がジュネーヴに立ち寄っている。帰国後に刊行された、『特命全権大使米欧回覧実記第五巻』の中で、「1873年7月1日」の記述を見ると、その末尾に「午後ヨリ某氏ノ別荘ニ至ル」とだけ記されている(2)。この点に関し、赤十字国際通報誌に掲載されている、「日本外交使節団」という記事には、次のような一節がある。「国際委員会は、赤十字活動をヨーロッパ外にも伝播させることをこれまでにもしばしば行ってきた。特に、しばらく前から、国際委員会は、この方面に、より特別な関心を払ってきた。……(中略)……以上のような観点から、国際委員会は、日本からの大使節団が目下スイスに滞在中であることを好機ととらえ、極東から来訪した同使節団に、赤十字活動を紹介することとした。……(中略)……同使節団は滞在を延長してジュネーブにまで来訪した。そこで、国際委員会は、この機会を逃すことなく、同委員会の詳細を、日本使節団に紹介説1愛知大学法学部教授140人道研究ジャーナルVol. 4, 2015