ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015議所創立25周年記念年鑑2010/Switzerland and Japan ? Partnership in Challenging Times (Swiss-Japanese Chamber of Commerce,25th Anniversary Yearbook 2010)』, edited by Roger Mottini, Schwabe AG (Basel in Switzerland), 2010, pp.103-132 (English summary,pp.103-116).(13)大川・加藤・原・上野共編前掲報告書、p.38。(14) Cf., La lettre de Fritz Paravicini au CICR datee du 15 mai 1942, Archives du CICR, cote BG8/76,≪I Delegation au Japon (janvier ? aout1942)≫, carton 331; Max Pestalozzi(Delegate of International Red Cross Committee Japan Delegation),“Report of Japan Delegation fromDecember 1941 till middle August 1945”, pp.8-10, in“Carton 562 G.17/76 Lists des effectif, couriers des Delegations CICR (Japon)”(juillet1944-decembre 1950), CICR Archives at Geneva.大川・加藤・原・上野共編前掲書、pp.38―40。(15)「台湾俘虜収容所視察時、日本軍将校立会のまま、アメリカ軍捕虜らと面会中のパラヴィチーニ」写真を参照(日赤本社赤十字情報プラザにて保管されている「俘虜・被抑留者救恤関係文書」中、「整理番号25赤十字国際委員会との交信(駐日代表パラヴィチーニによる台湾俘虜収容所視察に関する件、添付写真あり)昭和18年7月~22年8月」に収納。大川・加藤・原・上野共編前掲報告書、p.199に引用。(16)オリーヴ・チェックランド著工藤教和訳『天皇と赤十字-日本の人道主義100年―』、法政大学出版局、2002年、p.171。Cf., Olive Checkland,“Humanitarianism and the Emperor’s Japan, 1877-1977”, St.Martin’s Press, New York, 1944, p.138.(17) 1984年に島津忠承氏(当時、日赤名誉社長)が残しているインタビュー記録による(「島津名誉社長インタビューⅡ」、日赤本社赤十字情報プラザ保管、pp.43-44)。島津忠承著『人道の旗のもとに-日赤とともに三十五年―』、講談社、1965年、pp.79-80。(18)日赤本社旧社内文書「俘第一四九一号(昭和一七年一〇月三〇日起按一〇月三一日履行)大阪俘虜収容所ニ対シ薬剤寄贈ノ件」(日赤本社赤十字情報プラザにて保管されている「俘虜・被抑留者救恤関係文書」中、「整理番号18内外俘虜収容所への物品寄贈(昭和17年10月~18年4月)」に所収。桝居著前掲『太平洋戦争中の国際人道活動(改定版)』、pp.61-66。大川・加藤・原・上野共編前掲報告書、pp.334-335。Cf., Max Pestalozzi, op.cit., p.18.(19)昭和19年2月2日付朝日新聞第3面掲載「物故者」欄(「朝日新聞縮刷版昭和19年1~3月」、昭和62年4月25日復刻、日本図書センター、p.9に掲載)。渥美鉄三「パラヴィチニ代表の面影」、日本赤十字社機関雑誌「博愛」誌第682号、昭和19年2月10日、pp.8-9。(20) Cf., Geschaftsbericht der Schweizerischen Gesandtschaft in Japan fur das Jahr 1944, E 2400, Flim No.130A, Archives federales Berne/Schweizerisches Bundesarchiv, pp.131-132.(21) 1944年8月23日の時点では、前カイロ駐在CICR代表のハンス・ボン大佐、国際関係論の専門家であるリヒャルト・ベツォーラ博士が駐日代表部首席代表候補に挙げられている(Cf., Le telegramme D9674 du secretariat du CICR adresse a la delegation duCICR au Japon en date du 23 aout 1944, dans "G/8 76 VII Delegation au Japon juin-septembre 1944", carton 334, Archives du CICR)。(22)マルセル・ジュノー著丸山幹正訳前掲書、pp.8-210。ブノワ・ジュノー著大川四郎訳前掲稿、pp.64-68。大川「<研究ノート> 1945年来日前の赤十字国際委員会代表マルセル・ジュノー博士による人道活動について-日本国内史料をもとにして-」、愛知大学法経論集第193号、2012年、pp.217-257。Cf., Marcel Junod, "Le Troisieme Combattant", pp.26-195 ; PierreMarques, "La Croix-Rouge pendant la guerre d’Espagne (1936-1939) ? Les Missionnaires de l’humanitaire", L’Harmattan, Paris ; RainerBaudendistel, "Between Bombs and Good Intentions ? The Red Cross and the Italo-Ethiopian war, 1935-1936", Berghahn Books, NewYork/Oxford, 2006.(23)桝居著前掲『ボランティアからの出発-行政マンから赤十字マンへ』、pp.148-149。もっとも、入鹿収容所に収容されていたジミー・ウォーカーは、敗戦後に赤十字物資が配給されたと回想している(ジミー・ウォーカー著松岡典子訳『戦争捕虜219号の回想-タイメン鉄道から南紀イルカへ』、三重大学出版会、2000年、pp.177-179)。釜石の捕虜収容所で鉱山労働に従事していたオランダ人リンダイヤは、1943年5月12日、5月17日、1944年3月16日、12月15日付で家族に宛てた手紙の中で、アメリカ赤十字社からの小包が届いたことを記している(E・ウィレム・リンダイヤ著村岡崇光監訳『ネルと子供たちにキスを―日本の捕虜収容所から』、みすず書房、2000年、pp.93―95、117、140)。(24)吉田満著『戦艦大和ノ最期』(同著『鎮護戦艦大和下巻』、1978年、講談社文庫、pp.7-160に所収、特にpp.16-17)。同著『祖国と敵国の間』(同著『鎮護戦艦大和上巻』、1978年、講談社文庫、pp.107-294に所収、特にp.198、217-218)。吉田の作中では、この二世は「太田孝一」中尉となっている。その実名は「中谷邦夫」である(海軍兵科第四期予備学生会編『海軍兵科第四期予備学生・第一期予備学生名簿(第八期兵器整備予備学生・第一期兵器予備生徒名簿を含む<学徒出陣50周年記念(平成5年)版>』、海軍兵科第四期予備学生会、1993年、p.41、219;立花譲著『帝国海軍士官になった日系二世』、築地書館、1994年、p.23。田中知之著『八重の潮路の果てに』、原書房、2008年、pp.266―267)。(25) Cf., Lettre de Fritz Bilfinger adressee au Dr.Marcel Junod en date du 30 aout 1945, dans "cotes G.3/51, Missions ? Delegations/JaponJunod-Straehler Juin 1945", carton 219, Archives du CICR.人道研究ジャーナルVol. 4, 2015145