ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015への参戦に際して、山東半島の旧ドイツ権益を獲得し、所謂対華21ヵ条要求を通じて、中華民国の袁世凱政権に対し、同権益の日本の継承を認めさせた。一方、袁世凱政権も、山東半島権益の返還を求めていた。そして門戸開放政策を主張するアメリカも日本による権益の独占に反対しており、会議における争点の一つとなった。結果としてはヴェルサイユ条約において日本は山東半島の旧ドイツ権益の継承は認められた。中華民国では五四運動が起こり、ヴェルサイユ条約を調印しなかった。日本代表団の関心事の2つ目は、当時アメリカでは日本人移民、および日系アメリカ人に対する排斥運動が起こっており、のちに排日移民法が成立するが、このような情勢の中で、日本の代表団は国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を加えるよう提案している。これは「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」というもので、国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した。イギリスやオーストラリアなどが反対する中、出席者16名中11名の賛成多数を得たが、議長を務めたアメリカは突如として全会一致を主張、多数決を無視して本提案を退けた。この拒絶を受け、日本は特にアメリカに対する不信感を強める事になっていく。この両国の対立感情はその後の太平洋戦争への呼び水となったと言われている。1918年11月11日の休戦・赤十字の将来蜷川は、11月11日の休戦を好機として、12日付けで、アメリカ赤十字のデヴィソン、イギリス赤十字のスタンレー、ICRCのクラメル夫人らに書簡を送り、今後は赤十字事業を平時に行うべきだということを力説している。彼の考えの基本にあるのは、今回の大戦に際し、英米仏日などの各国の赤十字社は偉大な活動を行い、莫大な資金を使って、人道事業のために努力してきた。これら各国赤十字社の努力は、ジュネーブ条約の規定を超越して行った。条約によるのであれば、戦傷病者の無差別救護をしていれば良いのだが、アメリカ赤十字などは、初め、この種の市民救助にあたり、ベルギーでは砲火を冒して戦線にある児童を救出し、ベルギーやフランスの避難民や占領地で食物に欠乏している人びとに食糧配給を行った。その他肺結核に罹ったフランス、ベルギーの児童を救護している。ジュネーブ条約の規定にないことである。一度このような人道事業を始めた赤十字は、戦傷者の救護だけにとどまれなくなるのは自明ではないか。大戦から生じた赤十字の進歩であり、赤十字が人道事業に関わるとするのであれば、今後、平時においても常に活動する必要がある、ということである。デヴィソンからは、12月6日付けでご高説のとおり、赤十字は国際的に最も重要なもので、その義務と責任とは、戦争中も戦後も変わることはない。この機会に永久の平和を助長するうえで、各国の赤十字社はいっそう連絡を密にし、連携する必要がある、と返事が寄せられている。イギリス赤十字のスタンレーの11月18日付けの書簡は、大戦中の日本赤十字社の援助に謝意を述べ、今後とも両赤十字が協同していきたいというものであった。蜷川は失望して言う。「余の平時事業の主張に対しての適当なものではなかった。彼には、未だ平時事業を引き続き行うほどの考えはなかったのであろう。」と書いている(45)。ICRCのクラメル女史からの12月3日付けの書簡は以下のようである。「貴方の書簡を非常に興味深く拝読しました。私は赤十字事業を平時に継続すべきであるという貴方のご高見に同意します。貴方のお考えのように戦争の準備をするために平時事業をするというのではなく、全人類の苦痛を軽減するために、協同助力して、不正を排斥し、人道研究ジャーナルVol. 4, 2015155