ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015書面を送り、平時に赤十字事業を行うために、5大国赤十字会議を開きたいと通告してきた。蜷川は平時事業を行うためのジュネーブ条約の改正を討議する会議だと理解している。さらに、このような考えに至ったのが、自発的なのか、あるいは自分の意見に動かされたものかは不明だが、おそらく後者であろうと推測している。この辺は彼の我田引水であり、希望的観測だと言われても仕方ない。赤十字の将来に関するアメリカの考え方ここで、アメリカの赤十字の将来に対する考え方を見てみよう。幸い、アメリカ赤十字の一次史料はワシントンDC郊外の国立公文書館に寄贈され、閲覧が可能である。1918年11月13日、ウィルソン大統領であったハウス大佐(Edward M . House, 1858 ?1938)はデヴィソンに面会している。ハウス大佐は「ヨーロッパの飢えと困窮の国における慈悲のエージェントとして、赤十字を活用するように」とデヴィソンを促している(48)。ICRCが赤十字の将来について各社に回状を送った1918年11月27日にデヴィソンとアメリカ赤十字の事務総長であったストックトン・アクソン(Stockton Axson、1867-1935)はウィルソン大統領にホワイトハウスで面会している。アクソンは亡くなったウィルソン夫人エレン・ルイーズの弟で、1917年から第1次世界大戦末までアメリカ赤十字の事務総長であった。アクソンとデヴィソンはこの時、戦後の赤十字の在り方について検討する必要を大統領に話したのであった。大統領はアメリカ赤十字の名誉総裁のポストにある。この時、デヴィソンはアメリカ赤十字の募金担当の役割が終わったと感じており、そろそろ銀行家に戻りたいと考えたようであった。モルガン商会の有力な重役であり、財界での彼の知名度で、アメリカ赤十字は多大な募金を集めることが出来た。セオドア・ルーズヴェルト前大統領を支持しており、民主党のウィルソンとは、政治的な基盤を異にしている。彼は自分の後任について大統領に相談している。デヴィソンが考えるに、戦後、赤十字は平時活動を推進すべきであり、ICRCが「ジュネーブの愛想の良い紳士」であるスイス人の委員だけで運営されているのが問題である。真に国際的な機関とするためにはアメリカ人が運営の中に入っていく必要がある。このような仕事をするに相応しい人に自分の後をついで欲しいと考えていたが、具体的な名前は書かれていない。大統領は、デヴィソンにパリの講和会議のアメリカ代表団に加わり、赤十字の将来についてジュネーブへ行ってICRCの委員と協議するよう説得されている。彼は、その旨、大統領から文書が欲しいと依頼し、大統領からの文書は12月3日付けで出されている。この話はアクソンと大統領の間で筋書きが出来ていた。ホワイトハウスでの会見前にデヴィソンの考えを文書にして大統領に提出してあり、アクソンは義弟という立場を利用して、大統領と事前に話を詰めていたのである(49)。1919年1月2日ハウス大佐は「おそらく最も興味深い訪問者」として、赤十字のデヴィソンのことを日記に書いている。デヴィソンは赤十字の将来についての彼の考え方を説明し、ハウス大佐に助力を依頼した。彼は、イギリス、フランス、イタリアの賛同を得るよう手伝うと約束している。但し、条件をつけている。デヴィソンが銀行家に戻るのは誤りであると言っている。デヴィソンの考えが実現する暁には、世界的な名士となるのだからという。銀行家に戻るということは、不滅の名前を作る機会を失うとも言っている。赤十字の募金活動に努力されたように、この新しい赤十字のために同じく精力的に動いて欲しいと願っている(50)。158人道研究ジャーナルVol. 4, 2015