ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015いる。まずは赤十字社間に会議を開いて、平時事業を実行すればよいという考えである。この点は、他の3代表も同様の意見であったようで、蜷川は驚いている。蜷川は「デヴィソン氏は、米国における経済界の事業家にして、法律家にあらず、政治家にあらず、氏はジュネーブ条約と赤十字との関係に付いては、明確に了解し居らざるものの如し」(54)と評価する。デヴィソンの提案は「極めて、通俗的のもの」と落胆している。イタリアとフランスの代表は、このようなことを5ヵ国の赤十字社で決定するのは、赤十字の本家本元のICRCの感情を害することになるのではないかと危ぶんだ。蜷川は9月以来ICRCの委員と話し合っていること、国際委員会も大体同意しており、自分の意見を赤十字の機関紙に掲載したいとのことであるので、この論文を送付した。彼らの見解は杞憂であるとしている。アメリカからの案に、自分が乗ったようになることを嫌い、蜷川は事実をしっかり押さえておきたいという衝動もあったようである。議論の結果、5社の主旨は一致し、これを書面に認め、ジュネーブに提出することになる。デヴィソンに代表して行ってくれという話が出る。しかし、彼は慎重であった。アメリカ赤十字の単独との誤解を受けたくない。5社の代表の署名文書を持って、5社の代表が一緒にジュネーブに赴き、各自の意見を述べようではないかと提案し、同意を得ている。2日目の会議は、平時事業を行う方法について協議した。この時点でのアメリカ案は、ジュネーブまたはカンヌに人道事業研究事務所を設け、各国から一流の専門家を派遣して、時々会合させ、ICRCに採用させ、国際委員会の名で各国赤十字社に伝え、これを実行させれば、人類の幸福は増進されるであろうというものであった。しかし、このことでの意見の一致を見ることはできなかった。アメリカ赤十字が用意したものに、日本を除く3ヵ国が修正を加え、各代表が署名している。その文書は11月27日のICRCの回状を引き、5社の代表の共鳴するところであるとし、貴会の提案がされたのを好機として、カンヌで会議を開いて、種々検討した。速やかにジュネーブに赤十字会議を開き、意見の交換をしたいということだけが書かれているものであった。当時、デヴィソンには「平時事業開始に関して、何ら的確な腹案がなかったことは明白」(55)と蜷川は書いている。蜷川日記には「余は、余の論文を各代表に呈した。・・・2月2日、イタリア人は論鋒を和らげた。余の論文を好く読みしものと推断した。・・・彼らはアドール氏を尊敬し、同氏の感情を害するの非なるを論じた。・・平時事業の開始に賛成あり。但し一日ジュネーブにいたり協議することになり、覚書を作って散会。もしも余が当日いなければ、仏伊人は結局反対したことは明白。デヴィソンが感謝。日本を加えずにこの会議を開かんと考えたのは誤り。」(56)とある。ジュネーブにおける赤十字会議(2月12日~14日)ジュネーブ会議には、ICRCからはスイス大統領であったアドール以下、総裁代理、副総裁、委員らが出席した。会長代行のナヴィールは、赤十字事業を平時に拡張することを説き、遠からず赤十字国際会議を開催したいと語った。デヴィソンは議長であるアドールの指名で、平時に人道事業を行うべきだと言う考えは、アメリカとスイスで同時に産まれたものと述べ、各国赤十字の専門家によって、人類救助の最良の方法を議論させること、ジュネーブに赤十字博物館を建設し、人類救助のセンターとするということを提案した。イギリスは各社が結集して事業に当たることとし、フランスは赤十字看護婦が戦時事業から平時事業にシフトしたこと、イタリアはマラリアの研究160人道研究ジャーナルVol. 4, 2015