ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015本職共の欣幸とする所」として、50年前の赤十字の発想との関係から平時事業の重要性を説いている。その後のパリでの動き2月21日夕、アメリカ赤十字はホテル・ドルセーに列国人を招待している。列席者は250名。招待客リストには、日本の新聞記者の名前も見える。大臣、大使の演説があり、松井大使も演説を朗読している。蜷川の報告では、「熱も力も欠けていた」(59)とある。牧野全権も出席。デヴィソンは「生命の敵たる疾病を退治することは万民のために重大の利益あり、赤十字はこれよりこのことに尽力する」とスピーチした。ICRCの反対をものともせず、アメリカ赤十字は赤十字の平時活動推進へ走り出したのである。4月のカンヌでの会議の準備が進められる。2月28日、カンヌを去るに臨み、蜷川はデヴィソンに書簡を出し、赤十字社間の会合では意義不十分であるので、新たに国際間に一条約を必要とするとしている。3月3日付けで、カンヌにいるデヴィソンから蜷川宛に書信がくる(60)。蜷川がカンヌ会議に日本からの医学専門家の参加で骨折っていることを感謝し、日本は遠隔の地にあるので、貴方の計画は極めて困難ではないかと推察するとしている。平時における赤十字活動を医学の専門家の意見交換に限定する積もりはない。貴方が述べられているように、救護事業のために密接に協同する機関の設置を計画している。この時すでに、デヴィソンはICRCとは別の機関を設置する考えが浮かんでいるように思える。ジュネーブ条約改定について、自分としてはその必要性を認めないが、アメリカから来た法律家の中には、この問題に着目して、熟考中であり、適切な処置を講じて、最適に最も有効な方法を提案するところだという。実業家であり、法律家ではないデヴィソンは、この時期になっても条約の改定を考えていないと、蜷川は嘆いている。ジュネーブ条約は国籍とは関係なく軍隊の負傷者を人道的に待遇することのみを取り扱っている。赤十字機関の目的については何一つ述べていない。その条項には赤十字機関という言葉は用いられていない(61)。ただ篤志救恤協会(“voluntary aid societies”)という言葉だけがこの条約には表れている。3月14日にデヴィソンは大統領に次のような書簡を出している。アメリカ国立公文書館所蔵のアメリカ赤十字の文書に基づき、その概要を記載してみる。赤十字計画について、ICRCは講和条約締結後30日後に赤十字社の会議をジュネーブに開催の予定だが、問題はイギリスとフランスの赤十字社が講和後でもドイツの代表と会いたくないとしている。そこで、第1案はジュネーブの会合を不確定な時期まで延期する。第2案は国際連盟との関係を推し進める。第1案は最も不幸。第2案には強みと弱みがある。イギリスとフランスには失望した。ICRCの組織は極めて脆弱で、想像力あるいは度胸にかけている。ICRCは戦時活動を行い、各国の赤十字社は「赤十字社連盟(League of Red Cross Societies)」をつくり、国際連盟と組んで平時活動を展開する。第1案は講和条約締結によりドイツが国際連盟に入るのであれば、ジュネーブの計画によることにする。ドイツが未加盟の場合は第2案として、国際連盟加盟国だけで「赤十字社連盟」を設置する。事務局は国際連盟と同一の場所とする。アメリカ赤十字は赤十字社連盟事務局の3年間分の経費を賄うだけの資金は持っている。面会のうえお打合せしたいが、お返事をいただくのでも結構。これまでのハウス大佐の誠心誠意のコンスタントなご支援と協力でこの計画がここまで来ていることに感謝する。162人道研究ジャーナルVol. 4, 2015