ブックタイトルThe Journal of Humanitarian Studies
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The Journal of Humanitarian Studies
Journal of Humanitarian Studies Vol. 4, 2015この「赤十字社連盟」という機関名について、蜷川は、「人道的国民の連盟」という彼の意見に基づいて、これを多少変えたものではないかと考えている。国際連盟に対して、各国赤十字社の連盟と言うことで、「赤十字社連盟」ということが考えられたのではないかとする方が、自然ではないかと私は思う。大統領は、3月14日の書簡で提起された問題については、もう少しきっちりと協議したい。出来るだけ早く面会できるようにするという返事が出されている。蜷川は3月28日にジュネーブから「国際赤十字評論」に掲載された彼の論文の抜き刷りを10部受け取り、翌日ウィルソン大統領、フランスの全権クレマンソーやポアンカレー大統領、イタリアの全権オランドら名士に贈呈した。国際連盟規約の起草者であるデーヴィッド・ハンター・ミラーは3月31日付けの日記でハウス大佐からデヴィソンからの赤十字関係の修正提案についてのペーパーを渡された。デヴィソン案を取り入れた修正案を起草し、明日朝10時に再会することとなる、と記している(62)。ルブリーから提出される案は自分が議長を務める赤十字社委員会から正式に出されるもので、世界の指導的な専門家が同意したものである。規約に組み入れていただけると幸いであると、2つの案がデヴィソンから提出されたとあり、ここでは「国際赤十字連盟(International Red Cross League)」の名称が使われている。第2案はあまりにも長文で、しかもイギリスが受け入れがたい案文であるとも書かれている。4月2日にルブリーから提出された案をもとに、国際連盟規約を修正とある。4月3日にはウィルソンがすんでのところで会議場から退席するところとなった。ドイツの賠償金と国境線をめぐるウィルソンとクレマンソーとの両立不可能な意見の対立があったからである。夕方から大統領はインフルエンザに罹っていた(62)。蜷川の日記には、4月2日に長島隆二代議士との話し合いに基づき、モンロー主義の廃止を論じて、国民外交をすべきであるとの論点から、すでに発表されている国際連盟規約案の不確実なことを痛論し、長島氏の名で、ル・タン誌に発表とある。4月5日頃と思われるが、ロンドンからやってきたイギリス代表から、国際連盟規約中の赤十字条項についての修正案が出される。非政府機関が公共保健をコントロールすることに異議を出している。イギリス代表団は第22条(最終的には第23条)に(f)項として疾病の予防とコントロールについて追加するように求めている。カンヌ医療・保健会議(4月1日~12日)(63)このようにパリで、国際連盟規約に赤十字の役割に関する条文を入れるための協議が進められる中、アメリカ赤十字の呼びかけで、カンヌで医療・保健会議が開かれることになった。3月18日の日記で、蜷川は日赤からは、誰がカンヌの専門家委員として出席するか。本社の指令いまだなし。遠隔の日本は、不便の多きを覚えた(64)、と書いている。3月28日になって、やっとカンヌ会議に日本赤十字代表として出席することになった。しかし、専門家会議には日赤からは特に派遣しないとの知らせを受け、落胆した。実は、アメリカ赤十字からの提案で、志賀潔、野口英世、北里柴三郎を日本の代表にということを日本赤十字社に要請していたのである。3氏に交渉するのは甚だ困難であるので、西園寺公に随行してパリにいる三浦謹之助医学博士にお願いできないかと照会したところ、西園寺公の健康状態から三浦医師がパリを離れるわけにはいかないというお断り人道研究ジャーナルVol. 4, 2015163